Abuto*Kamui




星の沈む日



 かつて生命を育んだ豊な海は、失われた。深い森林は枯れ果て、大地は干上がってしまっている。

 行き場をなくした生物はついに力尽きた。死骸は風に晒され、弔うものもいない。

 星は今まさに死に行く。それも無理矢理に命を奪われ、息絶えるのだ。

 阿伏兎はもう幾度も星の死に目に会っていた。神威もまたそうに違いない。海賊であるからだ。

 春雨はこの星を食らい尽くし、次の星へ渡ろうとしている。

 それは、これまでも、これからも、連綿と繰り返される一種のシステムのようなものだ。

 「珍しいこともあるもんだ」

 阿伏兎は声をかけた。

 神威は船からはいくらか離れた高台に立っていた。彼が用もないのに、船から離れるのは珍しい。

 突飛な行動ばかりが目立つが、全てが終わってしまえば、それらは少なくとも彼の理には適っている。

 彼の理とは、すなわち闘争、それのみだ。

 死に行く星に、神威の理に適うものは何もない。

 そうだというのに神威は、傘を手にただ星を眺めていた。ゆるりと口を開く。

 「俺だって感傷に浸ることはあるよ」

 背後から見る神威の横顔は穏やかであった。

 阿伏兎は「そうかい」とだけ答える。

 感傷だとか郷愁だとか、それらは押し並べて神威に相応しくない。

 と、誰彼からも思われ言われてしまうのは、

 彼の持つ唯一の理だけが、表立ち、また際立っているからだろう。

 ないわけではないのだ、と傍近くで従う阿伏兎は思う。

 神威は、感傷だとか郷愁だとかを知っている節がある。

 愛だとか憎しみだとかいう情も、彼の内には確かに存在をしている。

 けれど、神威はそれらに迷うことがない。それらと何かを秤に掛けることもない。

 些末なことであると昔に切り捨ててしまっているからだ。

 それが神威という夜兎の本質で、全てだった。

 ただひとつ、闘争という理だけが彼をまっすぐに立たせている。歩ませている。

 戦場を経る度に研ぎ澄まされていくそれは、夜兎がとうに失ってしまった美しさだった。

 「似ているんだよ」

 と神威は言った。

 阿伏兎は黙って聞くことにした。

 「この星は夜兎と似ている」

 阿伏兎は神威越しに、荒れた星を眺めた。

 搾取され、廃棄される。かつての美しさを省みられることすらない。

 神威の口調は相変わらず穏やかだった。抑揚はあるが、感情の起伏というものがない。

 「星は使い捨てられる。

 夜兎もそうだ。何ら変わりない。けれど、それは仕方のないことだ。

 俺たちも、他を食らって生きている。それらは血にも肉にもならない。

 いくら夜兎の理があろうとも、糧として食らわないのなら、命を使い捨てているのと同意義だ」

 「時々、アンタは老人に見える」

 春雨を上り詰めようとしている若造には見えない。

 彼は達観し、諦観し、ある種の克己心さえ持ち合わせているのだ。

 そういう意のことを阿伏兎が言うと、神威はふっと笑った。

 「俺は俺の分を弁えているだけさ。摂理は俺の分じゃないよ」

 そのままに、振り返る。神威はうっすらと微笑をしていた。

 死に行く者を送る笑みだ。

 「最期だ」

 星の最期だ。

 「すこやかに死なせてやらないとね」

 阿伏兎、と呼ばれる。

 「お前は随分と辛気くさい顔だ」

 阿伏兎は肩を竦めた。

 「夜兎と似ていると言われれば、哀れむさ」

 阿伏兎は神威の儀式にまで従うつもりはなかった。

 そうでなくとも阿伏兎が長く眺めてきたのは、星でなく、神威だ。

 所懐は、愛ではない。

 然りとて、沈む星に抱くような哀れみでもない。

 阿伏兎はもう長く神威を持て余している。






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