Wyvern*Pandora Log




貴女の足首に接吻けを


 「貴女の足首に接吻けを」

 触れてはならぬ美しい人。深層の人。深淵の人。

 誰のものでもない貴女。私を愛さない貴女。

 私に許されたのは足首への接吻け。首筋への接吻けは許されぬ。

 足首に接吻けて少しばかり貴女を味わう。




薔薇の花をどうぞ



 白い手に、真っ赤な薔薇をどうぞ。

 可憐な手に、毒々しい薔薇をどうぞ。

 硝子細工の手に、刺々しい薔薇をどうぞ。

 美しい貴女の手にはその花がよく似合う。




「ラダマンティス」



 世界はわたしの思い通りにはならない。神もわたしの想うものではなかった。

 お前はどうだ、ラダマンティス。

 わたしの思い通りのラダマンティスか。

 わたしの想う通りのラダマンティスか。

 わたしのラダマンティスか。

 わたしの思うラダマンティスならば、ここへ来て、このわたしに跪け。




冥土



 「時々この土に埋まったら私は死ぬことが出来ると思うのだ、ラダマンティス」




ペディキュア


 ペディキュアをしていたのだ。白い裸足の爪先に。

 クイーンの椅子に座り、肘掛けに凭れて男を見下ろす。

 ラダマンティスはその武骨な手でパンドラの爪先をまるで神に捧げるかのように持ち、

 やすりで爪の長さを整えていた。丁寧で、硝子細工を意匠するようなそれ。

 「パンドラさま」

 「なんだ」

 「色は如何致しましょう」

 毒々しいローズレッド。艶やかなブラック。

 「お前の好きな色にするが良い」

 そう云えば、この男はどの色も選べずに途方に暮れるのだろう。

 その姿を思い描いて、パンドラは口許に薄く笑みを浮かべた。

 「黒だ」

 「は」

 ペディキュアとはおよそ遠く離れた武人の男の手がパンドラの爪先を飾ってゆく。

 爪先のみを映す眼差しに晒されて、熱い。

 パンドラは低く笑った。愉快な気分であった。

 「トゥーリングだ、ラダマンティス」

 ラダマンティスの手を爪先で振り払い、ペディキュアの仕上がりを眺める。

 「トゥーリングですか?」

 「脚の指のリングだ」

 まあまあの出来だろう、パンドラは満足した。

 「そのようなものは御座いません」

 「ふん。気の付かぬ男よ、お前は」

 この足の薬指くらいならば、お前の指輪をはめてやっても良かったものを。

 爪先をラダマンティスの眼前に持ってゆく。ラダマンティスは云った。

 「今はこれで我慢を」

 そうして足の薬指に接吻けを落とされたなら、今宵のふたり遊びもまた深い闇に咲く花のよう。




サバト


 月に黒髪、長い髪。妖艶めく乱れ髪。

 さて古来より髪には魔が宿るという。

 今宵はサバト。舞おうぞ、舞おうぞ、悪魔よ来たれ。

 「いでよ、私の愛しい悪魔」

 いざ、魂の契約を取り交わそうぞ。

 「いでよ、私の愛しいラダマンティス」

 いざいざ、そなたと今宵魂までも舞い踊る。




手向けの花束


 子猫が飼いたいのだと幼い少女が云った。

 「子猫が飼いたいのだ、ラダマンティス」

 少女の腕に抱かれた子猫が、少女と共にラダマンティスを見上げて小さく鳴いた。

 「ラダマンティス、この子猫を連れて帰る」

 それはなりませんとラダマンティスは答えた。

 それでも子猫を連れ帰った少女の胸には、その死骸。

 「わたしが殺したのか」

 「いいえ、違います」

 「ここは死者のみが訪れる地、それ故、この猫は死んだのか」

 「その通りです」

 「それでは、わたしが殺したも同然ではないか」

 「いいえ、違います」

 「ラダマンティスよ」

 少女は子猫の死骸を撫でながら、跪く男を見下ろした。

 「お前の優しさと同情をはき違えた言葉には吐き気がする」

 (配布元)




遥か昔の記憶


 「あのとき抱いたあの方は、お前のように温かかったのか、今はもう定かではない」

 そのお前ももう冷たい。

 なあ、ラダマンティス。

 いずれお前の温もりさえも忘れてゆくのだろう。

 ここはそういう処だ。

 (配布元)




殺意と彼女と僕


 「実際お可哀相な方ですよ、パンドラさまは。

 このような何もない処で未来永劫、花も知らず、鳥も知らず、生きるのですから」

 そう云っていたのはミーノスだった。

 膝を付き、見上げた先の幼い少女は情緒を欠いた白すぎる人形のような貌。

 ただ弟を愛し続けるだけの少女に、何の罪があろうか。

 この少女ならば、彼の地、エリシオンへと行けるかもしれない。

 そこに眠る彼の方を真にその手に抱けるかもしれない。

 何より、その手で花を摘み、その耳で鳥の声を聴けるだろう。

 「ラダマンティス」

 少女が、やはり何の感情もない硬質の声で云う。

 「お前に殺されても、私は幸せにはなれぬ」

 見下ろす眼は花も鳥も知らぬその眼であった。

 (配布元)




ひまつぶしの殺人


 貴女の音色は決して人を殺めるためのものではない。

 喉元まで込み上げ、呑み下した言葉のひとつ。

 その美しくも哀しい旋律で亡者如きの首を結び上げてはならない。

 口をついて出掛けた、けれど押し殺した言葉のふたつ。

 「パンドラさま、無益な殺生はお控え下さい」

 最後に形に出来た言葉の不愉快さ。

 パンドラは弦を撫でる指を止め、嘲笑った。

 「ラダマンティスよ。お前はこれを殺生というか。こやつらはもう死んでいる」

 それとも呻く亡者どもはまだ生きているのかと問われる。この死国で。

 「ラダマンティスよ。生者と亡者、私にはようよう区別がつかぬ」

 なにせここには魂の抜け殻しかおらぬからなあと静かにパンドラが云う。

 それはお前の言葉には魂がないと云われているようだった。

 音色に首を絞められる。

 亡者のように呻き、許しを請えば、パンドラは愉快げに笑った。

 「嗚呼、私はお前のそのような声が聴きたいのだ」

 この呻くような声で、胸に隠した言葉を口にすれば、何かが変わるというのだろうか。

 ラダマンティスは、けれど頭を垂れるのみ。

 死国には亡者の嘆く声がする。

 (配布元)





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