花冠



「どうした」
 隣を歩いていたイタチが少し行き過ぎて、振り返る。サスケがふと立ち止まったことを訝ったのだろう。
 だが、サスケは「ああ」だとか「いや…」だとか、曖昧に濁した言葉でだけ返した。
 二人が次の宿場町を目指して分け入った森はすっかり秋めいていた。木立の中を吹き抜ける風には、はや冬の気配さえ潜んでいる。この国には他よりも早く冬がやって来るらしい。
「サスケ?」
 なに、本当に大したことではないのだ。
 現に足元のそれはサスケが陰になって兄のイタチには見えていないようだ。だから、このまま知らん振りをして通り過ぎても良かった。
「……」
 逡巡する。
 が、結局サスケは足元にしゃがんだ。
 見なかったことには出来ない。これは生来の性分だ。
 すると漸くイタチにもそれが何であるのか分かったらしい。
「墓か」
 そう、その通り。
 サスケの足元にある盛り土がなされただけの簡素な墓は、先日の大雨で幾らか流され、崩れていた。
 見たところ墓穴が掘られた跡はなく、遺体や遺品が葬られた様子もない。
「忍の墓だろうな」
 イタチの言にサスケも頷く。
 たとえ死体であっても他国他里に奪われてはならない。それが忍の掟だ。
 おそらく遺体も遺品も故郷へは持ち帰ってやれなかったのだろう。
 仲間によってこの処で何も残らないよう焼かれたか、或いは既に敵方に持ち去られたあとだったのか、全ては推測の域を出ない。
 まして考えたところで栓無きことだ。
 命は帰らない。この世の理を無理にねじ曲げでもしない限りは。
 サスケは崩れた土山に手を伸ばした。
 まだ湿った周りの土を寄せて掬い、小さな墓に盛り直す。
 きっと両手で覆えば包めてしまうくらいの粗末な墓だ。けれど、サスケは手を抜かなかった。
 時間をかけて空っぽの墓を元に戻し、立ち上がる。
 すると、後ろからサスケを見守っていたイタチが木立の向こうを顎で杓った。
「水の流れる音があちらから聞こえる」
 川があると言う。手を洗って来いということらしい。見れば指の爪に泥が入り込んでいた。
「少し待っていてくれ」
 サスケは確かに兄にそう断って川へ降りた。
 だというのに、手を清めて戻るとそこに兄の姿はなかった。


「イタチ…?」
 サスケは周囲を見回した。
 葉を散らし始めた木々がぐるりと辺りを取り囲んでいる。もしや戻るところを誤ったか。そう過るが、サスケの足元には件の墓がある。
 ただイタチだけがいない。
「イタチ?」
 先程よりも声を張って呼び掛ける。
 だが、サスケに応えたのは森を抜けていく冬の風の針のように細い音だけだった。
 川へ下ってさほど時間は経ってはいない。離れてもいない。
 何かあれば気が付くはずだ。そこまでは鈍っていない。
 サスケはもう一度慎重に辺りを見渡した。
 けれど、やはりいない。忽然と消えてしまったように兄がいない。
「イタチ」
 ざわざわと森が不気味に騒めく。
 木の葉が舞い落ちる。
 イタチはいない。
 その時、サスケが元に戻した墓が視界に入って、容赦なく胸を突き押されたような衝撃がきた。
 その衝動のまま、腹から大きな声が吐いて出される。
「兄さん!」
「…サスケ?」
 はっとした。
 イタチだ。イタチの声がする。
「兄さん、何処だ?何処にいる?」
 きょときょとと落ち着きなく目の玉が左右を往き来していることを自覚して、サスケはくそっと自らを詰った。
 正体をなくし、取り乱すような場面ではない。
 落ち着け、落ち着け、と自分に言い聞かせる。
「…兄さん、何処にいるんだ?」
「こっちだ、サスケ」
 サスケは声を頼りに少し森を歩いた。
 ぱきり、ぱきり、と踏んだ枯れ枝が折れていく。
 そうして前に立ち塞がった老木を避けると、視界が少し開けた処へ出た。
「イタチ…?」
 秋の昼間のやや寂しげな日の光が頭上から注ぐその真ん中で兄は岩に腰掛けていた。
 傍らには何処で摘んで来たのか、様々の秋の花が置かれてある。
 歩み寄って見れば、兄は花冠を編んでいた。
「何をしている?」
 サスケは兄の手元を覗き、眉を顰めた。
 もう四つ、五つは結んでいるだろうか。イタチはまた一輪、花を取り上げる。
「墓に花冠を手向けるのは木ノ葉の里の風習だろう」
 確かにそうだった。
 サスケはむすりと唇を横に結ぶ。
 里の墓守りは子供らだ。
 里のため死んでいった者たちに守られた彼らは、守ってくれたその人のため、毎日墓地を掃き清め、水で墓石を流し、それから美しい花冠を供えて帰って行く。
 そうしていずれは彼らもまた誰かを守るため、その身に決して消えない火を灯すのだ。
 長く長く、途切れることなく、里はそうやって営まれてきた。
「お前にも昔、教えたはずだ」
 イタチはそう言ったが、そうだったろうか。
 いや、きっとそうだったのだろう。
 この頃、過去が少しだけ遠くになり始めた。
 だが、ふとすると浚われてしまいそうにもなる。兄が、ではない。サスケが、だ。
 サスケは気を緩めれば落ちて沈んでいってしまいそうな物思いを断ち切りたくて小さく首を振った。
「…上手く作るんだな」
 兄の指先は器用に様々の花を織り結んでは繋げていく。
 サスケは何とはなしに傍らの花を一輪手に取った。
 イタチが差し出す手にそれを手渡そうとして、
「教えてやろうか」
 兄の言葉に一瞬体が強ばる。
 深く考え過ぎるのは昔からの悪い癖だ。
 だが、きっとイタチは気が付いただろう。サスケの不審な一拍に。
 上げられた兄の目線と目が合う。
 死者の墓に手向けるという花冠。
「…それは必要なことか?」
「いいや」
 と兄は即座に答えた。引き寄せられた額がこつりと合わせられる。
 必要ない。
「必要ないよ、サスケ」


 それから兄は小さな花冠を編み上げた。
 二人でそれを墓に供えて手を合わせ、また森の小道を辿って歩き始める。
 兄の背を追いながら、
「必要ない」
 そう言ってくれた兄の、けれどその少し前を往く手を、まるであの花のように取って自分に結んでおきたいとサスケは思うのだ。