あいじゃくの話


※ 10才イタチ×5才サスケ


 夏初めの蒸した雨の降る湿った昼下がり、イタチは家のがらんとした座敷で腹這いになり綴本を捲っていた。
 隣では弟のサスケがタオルケットにくるまり昼寝をしている。瓦屋根を叩く激しい雨音にもとんと起きる様子はない。この頃中忍に上がった忙しい兄の束の間の休みをようやく独り占めにして、朝早くから巻き過ぎたネジ仕掛けの玩具のように森の修練場で飛び回っていたせいで、くたくたなのだろう。
 あちこちに擦り傷を作り、とどめに昼前から降り始めた雨に濡れたのがいけなかった。
 慌てて家に帰り、母が沸かしてくれた風呂を上がった途端、この通り、こてんと倒れて夢の中だ。
 おかげでイタチの一日は思いがけずぽっかりと空いてしまった。
 任務はなく、急を要する書き物も読み物もこれといって見当たらない。
 手の中の本も、なに、別段大したものではないのだ。
 だからこそ今日の今日までイタチの巻物棚の中で眠り、サスケの修業に付き合う傍らの暇潰しにでもしようかと適当に選んで忍具の詰まったポーチに放り込んだ。
 だが、それも六月の雨のせいで濡れてしまった。紙はふやけてでたらめに波打ち、墨の文字はところどころ滲んで、どこかの頁の朱色があちらこちらに深く染みてしまっている。
 しまったな、とイタチはサスケを風呂に入れた後で気が付いた。
 だが、そもそもそういえば何が書かれた本だったか。そのときイタチは初めて、手に入れたはいいものの読む気すらなかなか起こらなかったその本の中身に興味をそそられ、昼寝をする弟の隣で頁を開いた。
 それはやはり面白さに夢中になるというものではなかった。けれど真新しいまま棚差しにされていたときよりも、雨に濡れ少し傷みがある方が手になんだかずっとよく馴染む。それにポーチに入れる前にぱらぱらと捲ったときには目に写っただけの文字が、今は一文字一文字きちんと頭の中で意味を成し結ばれていくのだ。
 たぶん人はこの感情を親しみとか愛着とかいうのだろう。
 ふやけた紙も滲んだ文字も朱の染みも他にはない、世界で一つだけの、他の誰でもないイタチだけのものだから、離し難くて、いとおしい。
 その折、隣で寝息を立てていたサスケがタオルケットを足で抱えるようにして寝返りを打った。
 はみ出した膝小僧にはまだ痛々しい擦り傷ある。今日の朝、イタチとの修業中に負ったものだ。
 風呂上がりに貼ってやった絆創膏は弟のやんちゃな寝相のせいで剥がれて何処かへ行ってしまったらしい。
 イタチは本を置いて立ち上がり、棚から新しい絆創膏を取り出した。眠る弟を起こさないようにそっとその膝を軽く持ち上げる。サスケは一瞬だけ身動ぎをしたが、目覚める様子はなかった。
「許せ、サスケ」
 イタチと共に修業をしなければ、あるいはイタチの真似をして無茶をしなければ、こんな怪我をすることもなかっただろう。
 絆創膏越しに触れた弟の浅く裂かれた傷口と皮膚に滲む幾筋もの血の跡は痛ましくて、けれど少しだけイタチを幸福にしてくれる。