うわさのキッス



 安い宿屋の薄布団の上、サスケの白い肌が仄かに赤みを帯びているのは何も小さな行灯のせいばかりではない。
 今や乱れて肌蹴た衿や袂、裾の寝間着は本来の用を成さず、じっとりと蒸して湿った梅雨の夜のため汗の玉を結ぶ四肢肢体に解けた帯のみを頼りに危うげに引っ掛かっている。
 いっそのこと全て剥いてやった方がよかったか。
 自身もまた纏った寝間着代わりの浴衣を幾分か乱しながら、イタチは組み伏せ抱いている弟のことを思った。
 外はざんざんと一晩の雨の夜だ。時折混ざるかんかんという金物を打つ音は、宿の裏路地に打ち捨てられた一斗缶に軒から垂れた水滴が当たる音だろう。
 初めは気を紛らわすため無数の滴を数えていたサスケだが、今はもうそれも儘ならないほど実の兄の深情けに身を焦がし、あ、あ、と切ない吐息を夜の奥に零している。
 顔立ち涼しく怜悧であることを良しとするサスケは、しかしイタチの腕の中でのみはっとした色香を匂わす。それも女郎のようなそれではなくて、何度こうして体を隙間なく結んでも、目映い新雪に初めて踏み込む時にも似た罪悪とも悦びともつかぬ何処か後ろめたい感情をイタチは覚えてしまうのだ。
 抱いた夜はもう両の手の指では足りないくらいだが、それでもいつまで経っても頑なにサスケが馴れようとしないのは、彼の内に兄への漠然とした不安があるからだろう。それほどにイタチは何度もサスケの前から姿を消した。
 この弟は利口で愚かだ。
 イタチは思う。
 同じ轍を二度と踏まぬようにと歩きながら、そのくせ兄と共に行く道を選んだ。
「兄さん…、にいさん…」
 腰を進める度、サスケが乱れた布団の上で身を捩る。
 もっとかと思い、更にぐっと押し込むと、その手がおずおず伸びてきた。
 胸に直に触れられ、手のひらで形を確かめるように撫でられる。
「どうしたんだ、お前」
 戦場とは打って変わって閨では受け身になることの多いサスケだ。いつもイタチがサスケにするようにサスケが胸をまさぐろうとするなどまずない。
 だがサスケはこちらの問いには答えない。ただ真剣で懸命な目付きでイタチの胸の尖りまでも指で挟んで捏ねようとする。
 そんなサスケの手を取ってイタチはそっとそこから引き離した。
「くすぐったい」
 そのまま手のひらに責めているわけではないとキスをする。ちゅっと音を立てて吸うと、それに感じたらしいサスケの眉が切なく顰められた。更に裏返して甲にもキス。
「…よくないのか」
 漸くサスケは観念した。一心にイタチへと注がれていた視線も落胆めいた声音と共に僅かに落ちる。
 合点がいかず、もう一度真意を問うと、
「おれはいつもアンタにしてもらうばかりで何も返せていない」
 だから、とサスケは言った。
 確かにイタチは一晩かけてじっくりサスケを愛する。その間イタチに身を委ねるサスケはどうもそのことを卑下しているらしかった。
 ただ横たわるだけは退屈な相手。そんなよからぬ知識でも何処かで仕入れてきたのだろうか。
 しかし、それではこのイタチを奥深くまで受け入れている体はなんだというのだろう。イタチの形に拓いたそこは、イタチが挿入を果たしたその時から絶え間なくイタチを丹念にしゃぶり上げ吸い上げ愛撫している。
 生来欲とは縁遠いイタチだが、サスケのそういった姿は単純に愛しかった。その思いでゆるゆると腰を打つ。「あ、あ、あ…」とサスケが声を上げた。
「サスケ」
 接吻けた手を指を絡めて布団へと縫い留める。
「お前がいいなら、おれもいい」
 何かを返してほしいだなんて、これまでもこれからも、思ったことはないし、思うこともないだろう。
 だがサスケは正気を保つため全身を浸していく快感を散らすようにかぶりを振る。
「それはおれを抱くアンタの理屈だ」
 同じだけを返したい。
 とサスケが言ってくれる喜びを既にイタチはもらっているのだと、どうしたら伝わるだろうか。
 余りある時をそれに費やすのも悪くない。
 だが、今夜は不満を零す弟を兄として宥めてやりたい。もう片方の手のひらで彼の頬にひたりと触れる。紅潮した目許は確かに彼の偽れない高まりを示していた。
「兄さん…?」
 サスケが熱っぽい眸で瞬く。
 イタチはそのまま彼の前髪をかき上げて、現れた額にキスをした。
「興奮する」
 突き上げる。
 乱れたサスケが「ああ…っ」と顔を蕩かした。
「お前がおれに感じていると思うと興奮する」
 お前がおれに返すものはそれではだめか。
 問うとサスケははくはくと唇を動かした。だが、紡ぐ言葉はないらしい。
 折角なので開いたそこにも舌を差し込み咥内も全て頂く。
「ん…ふ…ぅん…」
 サスケの中はいつだって本当は激情家の彼らしく熱くて温かい。
 そこを次第に激しく掻き乱してやりながら、イタチは上体を倒してサスケにぴたりと被さった。肌と肌が重なり合い吸い付き合い、最後には貪り合う。
「…はっ…んっ」
 反る頤。
 跳ねる背中。
 腕を差し入れ体を抱き寄せれば、サスケもまたイタチの背に腕を回してしがみついてきた。
 その晒された喉元に接吻けを落とす。それから首筋に、頤に、頬に、耳の裏に跡を残しながら唇を滑らせる。
「ん…あ…」
 ぐちぐちと結合部が音を立てた。腹が濡れる感覚があるのは、サスケが堪えきれず先走りを零しているからだろう。やがて尻の奥へと伝ったそれは、サスケの中のイタチのものと交じり合い、またそこの具合を一段と良くする。
 イタチは強くサスケを突き上げた。
 するとついに彼の声が甘く上擦る。
「あっ、んっ、や…めっ」
 しかし拒否の言葉とは裏腹に大きく開かれるサスケの両脚。
 イタチは腰使いは緩めず、サスケの耳の穴の中にまで舌を入れ、掻き回した。
「サスケ」
「ん…にいさん…」
 ぞくぞくとサスケの肌がイタチを感じているのが分かる。
 そんなサスケに、
「お前がどうしてもと言うのなら、」
 イタチはふと浮かんだ猥らな戯れを囁き、吹き込んだ。
 瞬間、かっとサスケの頬に朱が差す。
「ば…っ、そんなこと」
 と明らかに動揺したのだろう顔にキスを降らせる。
「出来ないのなら無理強いするつもりはないさ」
「…まだ出来ないとは言っていない」
「そうか」
「だが、そんな」
「サスケ」
 イタチはぐいと腰を深めた。
 無理に言葉を切られたサスケが身悶えをする。
 外では雨が一段と強さを増した。これで多少の声ならば他に聞こえはしないだろう。
 イタチは自身も果てるつもりでもう抱いた。腕の中のサスケを追い詰め、極みを共に目指す。
「ふぅ…んっ!アッ!あんっ!も、くるっ、兄さんっ、にいさん…っ!」
 はあはあとサスケの吐息が荒くなる。
 溺れまいとイタチを求めるその四肢に引き寄せられ、きつく抱き返した瞬間、
「あっ、あっ、あ…っ!!」
 サスケが一度目の果てを迎え、イタチもまたサスケの中に全ての情を注いだ。


「なあ兄さん」
 軒下の雨垂れがかんかんと金物を打つ。
「本当に、その、アレは…」
 イタチは言い淀み、うろうろと定まらないサスケの眸の瞼に接吻けた。
「お前の気が向いたらな」
 夜はまだ長い。