春を招く
「止まないな」
とは、先程からまたはらはらと降り出した雪のことだろう。
サスケの遠く山の端を見つめた呟きにイタチもまた天を仰いだ。
深く静まり返った山間の街道に垂り雪の音が殊更響く。細く続く道は旅人や行商人らがこんな寒空でも行き交うために土の肌を晒していたが、その脇は一冬分だけ真白い。よくしまった雪が辺り一帯を覆っている。
空は薄曇りだった。その中を白の花弁が身を揺らしながら降りて来る様は美しい。だがイタチはそれよりも忍らしくこの先を憂えた。即ち、先程のサスケの言だ。
今はまだ肩に触れればあっという間に溶ける結晶も、もう少しすれば積もるようにもなるだろう。大雪になる。下手をすれば荒れる。そういう大気のうねりとにおいがしている。
「急ごう」
イタチはサスケを促した。
次の町まではあと二、三里だ。正午も過ぎないこの時刻であれば、更にひとつ先の町まで行けなくもないが、所詮あてもない、ただサスケを伴って行くだけの、失われた時を埋める流れ旅だ。強行をする必要はない。
サスケもイタチが言わんとすることを察したようだった。
山を下り、宿場町を訪ねる。
雑多な町の通りは既に賑わっていた。流れの旅人、忍、商い人、自分たちと同じくよく旅馴れた者たちだ。これからの雪に備えてここで数日の宿を探すのだろう。
「早くおれたちも決めないとな」
イタチは隣を歩くサスケに言った。
条件の良い、といっても価格の適正くらいだが、そういう宿は早くから埋まっていく。残るのは、金さえ払えば脛に傷のある者でも知らん振りで泊めるようなところばかりだ。身の危険を感じるということは全くないが、面倒事に巻き込まれるのは御免だ。特に目付きの鋭いサスケは難癖を付けられ易い。
そういうわけで求めた最初のいつも取るような宿を、だがサスケは、
「ここはだめだ」
と言った。
好き嫌いの内、嫌いの多い弟だが、選り好みをするような性合いでもない。その弟が即断するのだ。余程の理由があるのかもしれない。
イタチは何の変哲もない、ごくありふれた宿屋の外観に首を傾げながらも、そうかと踵を返した。
幸い、この町は街道の交点だ。他にも宿屋はある。そう思い他の処を二、三訪ねたが、サスケは宿の態をちらりと見上げては、やはり「ここはだめだ」を繰り返す。
ならば一体どういう宿なら気に入るのか。頑ななサスケにいい加減イタチも眉を顰める。
それでも、どうやら表通りに並んだ宿屋はどれもこれもよくないらしいということは察せられて、旅人相手の商いで賑わう町の通りを行き過ぎ、仕方なしに町の外れへと足を向ける。
一転、喧騒が遠くなった。静かだ。ただしんしんと雪が降り積もる。
その雪の野に人の出入りの少ない、垣根に囲われた宿を見つけた。何かの事情で長らく逗留する者のための宿だろう。広い庭はここを訪れる者の心を慰めるようによく手入れがされていた。雪原の松の緑、花の紅が美しい。
しかし今度はイタチがこれは違うなと思う。だが、
「ここがいい」
サスケは垣根の内を左右眺め見渡すと、これまでの態度を翻し、あっさり門を潜った。そのまま雪のきれいに掃き寄せられた道をすたすたと行ってしまう。
イタチの了承は問わない。そう言いたげな背を追いかけ、隣に並ぶ。
「ここがいいのか」
「ああ。…だめか?」
「別におれは何処でも構わないが、また唐突だな」
こんな宿に泊まりたいとサスケが口にしたのは初めてだ。
だが、ちょうど賞金首を立て続けに捕らえたところだ。懐も十分温かい。たまの贅沢くらい自分たち、少なくともサスケには許されるだろう。
「兄さん」
サスケは途中足を止めた。
イタチもまた立ち止まる。
「うん?」
「泊まるなら、あれがいい」
サスケの目が差す方を見遣る。そこにはひっそりと屋根に雪化粧を施した離れがあった。目の前の本宿と比べれば一部屋ほどの狭く小さな離れだ。草庵といっても差し支えはないだろう。
「あれか?」
また首を傾げる。折角なのだから、もっと広い部屋でも良いのではないか。イタチはそう思うが、
「どうせ二、三日は雪の中だ。…することも他にない」
サスケの言葉に漸く「ああ」と得心する。
成る程。だから、この弟は表の宿を嫌ったのだ。あそこは壁ひとつで隣室と隔てられているだけだから。
「行こうか」
イタチはサスケの背に手を添えた。そっと先を促す。
真冬に閉ざされた離れの一室に、腕の中に、密やかに春を招く。それもいいだろう。
白の野に垂り雪がまた響く。