バファリン



 人影絶えた野の渡り。雪の結晶が一片、二片ちらりちらりと灰の空から舞い散り降りる。
 次の宿町まではあと一里ほどだろうか。常であればもうひとつ向こうの町まで当然足を伸ばす午後近く、サスケは朝からいやに早足だった。おまけにもともと少ない口数は今朝には一段と萎んでしおれ、先ほどからは何を話し掛けてもうんともすんとも一切口を利かない。
 昔はオレのあとを懸命に追って歩いていたのにな。そういうイタチの思いはもう何度も繰り返したものだから、サスケがさっささっさと前を行く、それ自体は気にかけるようなことじゃない。先を急く後ろ姿を追いながら、イタチはサスケの好きなようにさせていた。
 だが、思った通り、弟の急ぎ足は四半里でやや緩み、もう四半里でのろりとなった。
 やがて追い付いたイタチにきまり悪げに「兄さん」と言う。振り返った顔色はもとの白さと、このつんとした空気の冷たさを差し引いてもまだ青白かった。
「体調が悪い」
 ようやく言ったか、とイタチは思う。
 様子は昨晩からおかしかった。いつもならイタチがもう寝ろと促すまで刀や苦無の手入れをしたり巻物や手配帳を眺めたりして過ごすサスケが早くから布団を引っ張り出したり、食がなかなか進まなかったりと、細かに挙げればきりがない。
 ただイタチがあれこれと気遣ったところで、頑ななほど矜持の高く弱みを見せたがらない弟だ。何ともないと譲らないだろうから、いつ言い出すのかと待っていた。
 前髪がおろされた額に手を当てる。至極当然のことながら、熱があった。
「寒気は?」
「する」
「吐き気は?」
「ある」
「風邪だな」
 それも典型的な。はあと苦しげに吐く息の白さは常より多く、この分ではいずれ喉の痛みや咳、頭痛も出てくるかもしれない。
 イタチが手を退けると、支えを失ったサスケがふらりとイタチの肩に寄る辺を求めた。そんな滅多にない甘えるような仕草にイタチが跳ねた後ろ髪でも撫でてやろうかとすると、サスケはくそと毒吐いた。
「風邪なんか何年も引いていなかった」
 ぼそりと言う。
 そうだろう。
 だが、そうでもないのだろう。
 サスケは弱れなかったのだ。本当はひどく弱っていたのに。
 手負いの獣だったからこそ、彼は牙を剥くしかなかった。
 ふと兄貴心と負い目の心が顔を出す。
「サスケ」
「なんだよ」
「おぶってやろうか」
 返事をするのも最早億劫げなサスケに半ばそうするぞと強いながら問いかける。次の町まではあと半里だ。幸いサスケが気に病むだろう人目も人家もまだ少ない。遠くに野良仕事をする農夫の姿があるだけだ。
 だが、ばか言うなと返される。
「自分で歩ける」
 その割にまだイタチの肩で呻いているのはどうしてだろうか。イタチは呆れ半分、溜息を吐いた。
「お前、兄貴のオレの前で意地を張ったって仕方ないだろう」
 できると意地を張ってイタチの無茶な手裏剣術をまね、足を挫いたサスケを昨日のことのように思い出す。それにこんな雪もちらつく中でぐずぐずしていても熱が上がるだけだ。
「そう拗ねるなよ」
 イタチはサスケの背をぽんと触れてあやした。
 多分に弟は悔しいのだ。風邪を引くことを不覚だ、情けないとすら思い込んでいる。たとえ牙を剥けなくとも、その間くらい彼を傷付けるものなどイタチが追っ払ってやるというのに。
「風邪なんか甘やかされて数日眠ったらすぐに治るさ」
 強情になることなど何もない。素直に休まり安らげばいいだけだ。
 これでもまだサスケがぐずるようなら、どれだけいやがっても無理に抱き上げおぶってやろうと、イタチはそんなことを考えた。