おでかけしましょ


※ 21才大学生イタチ×16才高校生サスケ
※ 兄さん一人暮らし


 たけやさおだけ。たけやさおだけ。
 ベランダの掃き出し窓越しに聞こえたそんな拡声器の声に、イタチの集中はふと途切れた。実家にいた頃はよく耳にしていたが、ここで独り暮らしを始めてからはめっきり聞かなくなった。単身者の多い町だ。売り上げは果たしてどの程度のものなのだろうか。
 二時間ほどローテーブルに置いたノートパソコンに向かっていたため、凝り固まった肩を軽く回して解す。
 本当は寝室の机で椅子に座り作業をした方がよいのだろうが、それでは今はイタチの背後のカウチで黙々と読書に耽るサスケとは別室で過ごさねばならない。
 たとえば実家であるのなら、イタチが論文を書くために自室へ引っ込もうとも構わなかっただろう。だが、ここはイタチが独り暮らしをする部屋で、サスケはわざわざ週一回離れて暮らす兄に会うためだけにここへ通って来ている。
 無碍には出来ない。その上、イタチだってサスケと同じ思いを抱いている。
 そのサスケはカウチに寝そべり家から持ち込んだらしい小説を読んでいた。最近は頻繁に時代ものを手に取っている。きっとこの部屋のイタチが大学で使う専門書の類いでは、退屈しのぎにはならなかったのだろう。昔はよく宿題をするおれの教科書を横から覗き込んできたのにな、と思う。
 サスケはイタチが作業を止め、自分を見ていたことに漸く気づいたらしい。たださほどそのことに関心は持たなかったようだ。
「終わったのかよ」
 イタチに問う声もどこか間延びして遠い。
 そんな心ここにあらずといった風なのは、彼がイタチの論文に合わせて読書を始めて約二時間、物語もちょうど佳境に差し掛かった辺りだろうか。ページを繰る手も、目の動きも、先を急いている。カウチの端にきちんと立てて置いていたはずの怪獣のぬいぐるみも今やサスケの枕代わりだ。
 サスケが小さな頃に持っていたそいつを偶々雑貨店で見かけて面白半分で買ってやったら、「ふざけるな」とひどく冷めた目をされたが、結局昔も今も緑のそいつはサスケのお気に入りになった。聞けばまだ実家のサスケの部屋には初代のそいつがいると言う。
 イタチはローテーブルの上のカップを取り上げた。一口含めば中身はもう温い。そういえば二時間前に淹れたきりだったと思い至る。
「お前も何かいるか」
 立ち上がり、リビング続きのキッチンへ新しいのを淹れにいくついでにサスケにも声をかける。けれど、サスケは生返事しか寄越さない。
「おれと同じのでいいんだな」
 と言ってやっと「それはいやだ」と返された。
 結局サスケが泊まりに来るからと作って冷やしておいた麦茶を二人分入れ、戻る。
 その時、気が付いた。
 カウチに寝そべったサスケ。イタチの記憶にあるこのところのサスケはずっとそんな調子だ。
 リビングの床で、今日のようにカウチの上で、そして寝室のベッドで、テレビを見たり本を読んだり或いは携帯電話を弄ってばかりいる。
 外はよく晴れた土曜日の放課後だ。のろのろ流れゆく雲の下、竿竹屋だってのんびりと街の中を縫って走っている。
 十六の高校生がこんなことでいいのだろうか。
 おれのせいだな、とイタチは思う。
 サスケはイタチに会いに来ているのだから、イタチが家に籠っていたのならサスケもそうするより他ない。
 イタチはテーブルに麦茶を置いた。だが、腰は下ろさない。書きかけの論文はきりは悪いが上書き保存し、パソコンの電源を切って蓋を閉める。
 そうして、サスケの手から小説を取り上げた。
「なにしやがる」
 サスケは初めて顔をイタチを向けた。だが、読んでいた小説をテーブルに遠ざけられて、彼はどうやら暫くは返してもらえそうにないと悟ったらしい。上半身をカウチの上に起こす。
 そんな弟の頬に触れ、イタチはそのまま彼の前髪をかき上げた。
「出掛ける」
「出掛ける?」
 サスケの眉が顰められる。
 そうだ、だから早く支度をして来いと言うと、ますます彼の眉間の皺は深まった。
「おれもか?」
「ああ」
「こんな時間に?」
 アナログ時計は午後四時半を指していた。確かに遠出をするには遅きに失し、かといって夕食にはまだ早い。サスケが訝しむのも無理はない。
 けれど、イタチは「ああ」と頷いた。サスケはイタチが行くと言うならば、きっと付いてくる。そのために彼はここへ来ているのだ。
「何処に行くんだよ」
 サスケは立ち上がり、椅子の背に掛けていた上着に袖を通した。それからポケットに財布と携帯電話を突っ込む。
 イタチは車のキーを取り上げかけて、止めた。麦茶のコップを冷蔵庫にしまう。
「今日は車じゃないのか」
 と問われ、電車にしようと提案する。
 だからといって何処へ行くかはまだ決めていないが、それは道々漫ろ歩きでもしながらサスケと考えればいい。
 財布もある。携帯電話もある。日曜日だってある。大概のところへは望めば行ける。
 火の元を確かめた。リビングの明かりを消す。玄関では先に靴を履いたサスケが家の鍵を手にして、イタチを待っていた。イタチもまた靴を履き、扉を開く。
 空気が拓けて、光が差した。
「行こうか」
 イタチが促す。
「だから、何処へだよ」
 サスケが笑う。

「何処へでもさ」

 部屋には鍵を掛け、イタチとサスケ、二人で出掛ける。