誰かといた夏の日[10のお題]



01 騙されてびしょ濡れ

 夏の日の夕暮れ、庭の草花が昼間のうだるような暑さにカラカラと萎れているのを見かけたイタチは飛び石の陰にある草履をつっかけた。庭の隅まで歩いて行って水栓にホースを取り付ける。そうして草木に水を遣っていると、アカデミーから帰ったらしいサスケの声と足音が玄関の方からばたばたと聞こえてきた。
「兄さん!兄さん!帰ってたの!?」
 母屋の角から顔を出したサスケに「帰ってきたのはお前だろう」と思う。
 弟はこの暑いのに、その上いつも結局あしらわれるのをもう分かっているだろうに、懲りもせず早速水遣りをするイタチにまとわりついてきた。
「ねえ兄さん、忍術を教えてよ」
「忍術、か」
 少し思案し、ホースの口を握る親指を緩める。どぽどぽと零れる水はふたりの足元に水溜りを作った。
「よし、いいぞ」
 頷くとサスケは自分で言いだしたくせに「えっ」と驚いた。その大きく開く目をまずは瞑るよう言い付ける。
「それじゃあ印が見えないよ、兄さん」
「忍が早々簡単に印を教えるわけにはいかないな。見せるのは術だけだ」
 ちぇと拗ねるサスケは、けれど兄に言われた通り渋々目を閉じた。
 その顔に、
「うわ!?」
 イタチは手にしたホースの水をぴしゃりと飛ばしてやった。
「ひどいよ、兄さん!」
 水勢は加減をしたつもりだが、突然の兄の横暴に目を白黒させる弟の前髪から顎まではもうずぶ濡れだ。日頃つんつんした彼の髪は見る影もなくへなへなと垂れ下がり、頬から落ちる滴は夕日を受けてきらりと輝く。
 イタチは恨めしげな目でこちらを見上げる弟を素直に可愛いなと思った。たぶんきっと明日もイタチが目を瞑れと言ったなら、「どうせまたひどいことをするんだろう」とか何とか言いながらサスケは目を瞑ってしまうに違いない。
「今のお前にもできる水遁だ」
 やってみるかとホースを渡す。
 仕返しをされるだろうなと思ったら、やっぱり仕返しに水を胸の辺りに掛けられた。サスケの髪と顔はタオルで拭けばいいが、服はこんな時間からは乾かないと母さんに叱られる。
 それでもイタチは「やったな、サスケ」と笑った。笑ってもう一度ホースを奪い返し、今度はもう笑って逃げるサスケの背に水をかけた。
 そうして「ほら」とホースをサスケに投げたなら、ふたりの間に虹が見えた。



02 練習をサボって、アイスを食べた

「サスケ。今日はこのくらいにして、アイスでも食べに行こう」
 と兄が言うので、本当はもっとふたりで修業がしたいのだけれど、サスケは兄に付いて駄菓子屋の前のベンチに座ってアイスを食べた。
 昨日も今日もきっと明日も、この頃はずっとそう。イタチが、兄が、サスケと修業以外をしたそうだから、ふたりでどこかに行きたそうだから、サスケはあんまり好きじゃあないけれど、今日もイタチとおんなじ甘ったるいアイスを頼んで食べた。バニラを食べた。黙って食べた。ふたりで食べた。
 サスケは、本当はもっとふたりで修業がしたいのだけれど。



03 構わず服で泳ぎ出す

 いつもの水辺でいつものように火遁の修業をしていたら、誤って水にどぼんと落ちた。チャクラの練り方をしくじり、胸を膨らませ過ぎたのが原因だろう。
 次に目覚めたのは、家の座敷に延べられた夏の布団の上だった。自分の部屋のベッドでなかったのは、何かあった時のため家人の目につくようにという配慮に違いない。
 ふらりと眸を巡らせる。誰もいない。母さんは台所だろうか。父さんは警務だ。
 風を通すため開かれた障子戸。その向こうに広がる夏の青空。白い入道雲。朝よりは静かな蝉しぐれ。
 小さなうちはの衣と、それよりは少し大きなやっぱりうちはの衣が庭の物干し竿で揺れている。
 にいさん。
「にいさん」
 サスケの呼び声に、イタチの答えはなかったけれど、その代わりのように風に吹かれた兄の衣が「ここにいるよ」と返事をした。



04 隣の体温は生温く不快

 任務を終えたイタチが夜遅くに帰ると、弟のサスケがなにやら家の庭の池に向かい、ぜいぜいふうふうとやっていた。
 あれはいったいどうしたのかと見守る母に訊けば、まだアカデミーでも習っていないだろうに火遁の術を夕方からずっと練習しているらしいと教えられた。きっと父か一族か誰かに何かを言われたのだろう。あるいは、また兄と比べられたか。
 母は「あなたはもう休みなさい。わたしがちゃんと見ているから」とイタチを気遣ったが、
「いいよ、おれがサスケを見てるから」
 イタチは無理を押し通し母を断った。
 庭へ下りる。
 当のサスケはイタチと母のやり取りを耳にしているだろうに、イタチが傍へやって来ていることにも気が付いているだろうに、知らん顔だ。一人意地のようにぜいぜいふうふうを続けている。
 嫌われてはいない。
 イタチはサスケが陣取る池の囲み石の隣に腰掛け、母から預かった蚊取り線香に火遁でふうっと火を点けた。
 ただ今夜は慕われないだろうな。
 蚊取り線香に灯るイタチの点けた火を見つめたサスケの物言いたげな、けれどぎゅっと結ばれた依怙地な唇と眸にそう思う。
「もう仕舞にするのか」
 イタチは今度はふっと吹いて線香を燠にした。
 サスケの見様見真似のぜいぜいふうふうがまた始まる。



05 意味もないのに名前を呼ぶ

「これ、なんだ」
 と兄のイタチが至極真面目な顔で自らを指差して言うものだから、サスケはちょっと困っておずおず答えた。
「に、兄さん」
 少し語尾が上がってしまったのは、兄の問いがあまりに漠然としていたからだ。
 結局イタチはサスケの答えに何を言うでもなかったが、以来たびたび顔を合わせれば、
「これ、なんだ」
 と兄はサスケに問うようになった。
 サスケはそれこそ初めは何かわけでもあるのかと真正直に「兄さん」と答えていたが、
「これ、なんだ」
 が続けば続くほど、もしかしてからかわれているんじゃないかと何だかばかばかしくなってきた。
 今日も今日とて兄はとても真面目な顔で訊いてくる。
「これ、なんだ」
「兄さん」
「これ、なんだ」
「にいさん」
「これ、なんだ」
「にーさん」
「これ」
「だから、兄さんだろ」
 もう、いったい何なんだよ。
 サスケは頬を膨らます。
 イタチはそんなサスケのおでこではなく膨らんだ頬をつついた。
「補給さ」
「補給?」
「今のうちにたくさん補給しておこうと思って」
 サスケの頬からぷうと空気が抜ける。
 イタチはまた自らを指差した。
「サスケ。これ、なんだ」



06 立ち話もそろそろ限界

「それとイタチ、この間の件だが」
 と、うちはの話を切り出したシスイを止めたのは、他でもない暗部のイタチだった。今日はこのぐらいにしようと言う。
 見張られているのか。そう思い、素早く辺りに視線を走らせる。だが、忍が潜んでいる様子はない。
「これ以上続けると、暑気中りになりそうだ」
 汗ひとつかいていない額に手を翳すイタチにシスイは首を傾げた。
「暑気中り?お前がか?」
 どうもそんな風には見えない。
 するとイタチはちらりと後ろを振り返った。つられてシスイもイタチの肩越しに二つ先の角を見遣る。そこには、こちらを窺うようなつんつん頭が見え隠れしていた。
「待たせてある」
 暑気中り。なるほど。
 サスケ、と弟を手招く友の横顔にシスイはやれやれと笑った。



07 情けなさが増長する炎天下の坂の上

 今日は父さんの誕生日だろ。
 だからおれ、ちょっとだけ夕飯の下拵えを手伝ったんだ。
 本当はさ、おれも兄さんみたいに難しい任務をいっぱいこなして、父さんに喜んでもらいたいけど、おれ、まだアカデミー生だから。  成績も兄さんに敵いっこないし。
 だから母さんに頼んで内緒で手伝ったんだ。…兄さんもこのことは父さんには内緒にしててよ。
 それでさ、兄さん。
 おれ、アカデミーを卒業したら、父さんみたいな強い忍になって、任務をうんとこなして、父さんに喜んでもらうんだ。
 今は無理だけど、一年先も無理だけど、…十三になるまでは無理だけど、でもいつか絶対。
 そんなサスケの話をイタチはその手を引いてやりながら、うんうんと頷いて聴いていた。
 サスケとうちは。どちらをも守ってやれれば、どんなにかよかっただろう。
 ふたりで行く坂の先、ぐにゃりぐらぐら陽炎が立ち昇る。



08 呟く言葉を拾われて赤っ恥

 あかねのそらにあかねむし。
 サスケがそれを「とんぼだ」と言うと、隣の兄は、「アキアカネだな」とそいつを人差し指にとまらせた。
「秋が近くなったから、山から下りて来たんだろう」
「あきあかね」
 とんぼじゃなくて、あきあかね。
 そんなちょっとのことにもサスケは兄との遠い距離を思うのだ。



09 罵りをまともに受けても寒くもならない

 うちはのイタチ。
 暗部のイタチ。
 苦無が投げられ刺さるを繰り返す。通した紐を引っ張れば庭の木からずぽりと抜けてまたイタチの手許に取り戻された。
 うちはのイタチ。
 暗部のイタチ。
 投げて刺さる。引き抜いてはまた投げる。刺さって、深く刺さって、無理に引けば木を傷めた。
「兄さん」
 やって来たサスケは手の中で苦無を遊ばせる兄に首を傾げた。新しい修業かとは見当はずれの的外れ。
 なんだか今日は億劫でイタチが応えず黙っていると、サスケはイタチの手の中に新しい修業を探し始めた。
 そんなものは何処にもないのに。
 イタチは弟の円い眸があまりにも夢中に正直だから、笑ってしまった。
「なんでもないよ、サスケ」
 苦無をただ投げていただけだと教えてやる。サスケは「なんだ」としょんぼり拗ねた。
 兄さん、おれにも教えてよ。
 兄さん、修業につきあってくれるって言っただろ。
 かわらないな、と思う。サスケだけはかわらない。
 かれにとってイタチは「うちは」ではなく、「暗部」でもなく、「木ノ葉」でもない。ただ兄のイタチなのだろう。
 小さな鼻をぎゅっと摘まむ。するとサスケは「もう兄さんっ」と腹を立てた。
「許せ、サスケ」
 サスケの「兄さん」だけが温かい。



10 日がな一日喋ったところで足りるだけの人生ではない

 それでもサスケ。
 もしもお前の隣におれがいられる未来があったなら、おれは傍らのお前にどんな話をしただろう。
 お前といた夏の日の幸福を告げただろうか。



お題配布元:コ・コ・コさま