20120609 イタチ誕
この頃は日が長くなった。
夕刻を過ぎても、まだ辺りは明るい。
イタチが帰ると、夕焼けが入り込んだ居間の畳の上でサスケがごろり寝ころんでいた。
湯上がりなのか甚平を着て、手にした団扇で汗がうっすら浮いた肌を億劫げに扇いでいる。
年頃の娘たちからは随分懸想されていると人伝に聞いているが、このだらしない姿はどうだろう。
イタチが溜息を吐くと、サスケは胡乱げにイタチを見遣った。
「なんだよ」
と機嫌は頗る悪い。
だがイタチは慣れたものだ。
座しながら、サスケの手から団扇を奪う。
「隙ありだ、サスケ」
言外に今の姿にちくりと言ってやる。
すると、サスケはますます機嫌を斜めにした。
ふんと鼻を鳴らす。
「兄さんが悪いんだ」
と、聞き捨てならないことまで言う。
イタチは首をひねった。
「おれが?」
「ああ、そうだ。おれをこんな風にさせたのは兄さんなんだぞ」
サスケは起き上がり、今日のあらましを話し始めた。
サスケの一日が始まったのは、とっくに朝は過ぎ去り、もう昼が訪れようとしていた頃だった。
今日は任務もなく、これといって顔を出すところもない。確信犯で寝坊をした。
空腹を抱え台所に降りると、朝食は当たり前だが随分と前に終わっており、母は「自分で作りなさい」とこういうところは手厳しい。
仕方なしに、ただ一から作るのは面倒だったので、なにかないかと冷蔵庫を開けたサスケの目に入ったのは、手提げのケーキ箱だった。
「ケーキ?」
冷蔵庫の扉は開いたまま、母を振り返る。
母は料理の本を捲っていた。
「そうよ。今日はイタチが早く帰って来れるって言うから、買ってきたの」
そこで合点がいった。
今日はイタチの二十一歳になる誕生日だ。
幼いころは家族の行事として毎年ケーキやプレゼントを用意してお祝いをしていたが、イタチが暗部入りを果たしたころから、そういった習慣はすっかり有耶無耶になってしまっていた。
当の本人が当日に帰らないことや帰ってきても深夜だったりするのだから仕方がない。
サスケの誕生日もいつの頃からか家族揃ってお祝いをすることはなくなってしまったが、そういえば兄は毎年多少の日にちの前後はあれどささやかな贈り物はきちんと寄越してくる。
「兄さん、いつ帰るって?」
サスケは結局なにも取り出さずに冷蔵庫を閉めた。
「さあ。でもお夕食には間に合うって言っていたわ」
そう答える母の背に礼を言ってサスケは自室に早足で向かった。
部屋着から外行きの装いに着替え、財布を手にもう一度階段を下りる。
サスケも任務を受ける身だ。懐はなかなか温かい。
「あら、今日も任務だったかしら」
玄関で靴を履いていると、それが習慣なのだろうミコトが送りにやって来た。
「いや。ちょっと出かけてくる」
「そう。せっかくだから今日はお夕食までには帰ってくるのよ」
「ああ、分かってる」
サスケとしても、そうでなければ出かける意味がない。
ミコトに「じゃあ」と告げ、サスケはうちはの集落を後にした。
そろそろ梅雨入りだというのに、今日に限って木の葉の里はよく晴れていた。夏日だ。
サスケは日差しをよけて、日陰のベンチで露店で買ったウーロン茶を飲んでいた。
暑いのも、そういえば空腹であることも、我慢できないサスケではない。
サスケが頭を抱えているのは、イタチへの贈り物が決まらないというよりも見当がつかないためだった。
幾つかの雑貨屋を巡ってはみたものの、これだというものがない。見つからない。分からない。
イタチは毎年サスケが気になっているものをどうして知っているのか如才なく贈って寄越してきている。
翻って自分はどうだ。
イタチが今何を気にかけているのかさえ分からない。
くそう。とわけのわからない兄への対抗心までが頭をもたげ、ストローの吸い口を噛み潰した、その時だった。
「おっ、サスケ!」
「サスケくん!」
通りの向こうで手を振る二人に気が付く。ナルトとサクラだ。
二人は人波をよけてサスケのもとに駆け寄ってきた。
「よぉ」
サスケはくずかごに氷ばかりが残るカップを投げ入れる。
「サスケも今日は休みだろ?」
「珍しいわね、サスケくんが一人でこんなところにいるなんて」
「まあな」
二人を見上げながらサスケは考える。
二人がイタチの欲しいものを知っているとは思わなかったが、一般に「誕生日プレゼント」といえば何かくらいは参考になるかもしれない。
サスケが今日はイタチの誕生日であり贈り物を探していると話すと、「うーん」「そうねえ」と気のいい二人は腕を組んで空を見上げた。
まず声を上げたのは、例に漏れずナルトだ。
「やっぱ食い物だってばよ!」
「そういえば時々イタチさんを甘味処で見かけるわ。美味しいケーキとか喜んでもらえそう。誕生日だしね」
確かにイタチは甘味を好んでいる。ケーキも喜ぶだろう。
だが、ダメだ。
「母さんがすでに購入済みだ」
「そう…残念ね」
「ほかにイタチ兄ちゃんが好きな食べものはないのかよ」
問われて考える。
兄さんが好きな食べもの。
長考の末、はっと気が付く。
「キャベツか!キャベツ一玉か!!」
「いや、それ、ちがうから」
ナルトががっくり肩を落とす隣で、「せめてロールキャベツとかよね」とサクラも呆れる。
「だけど食べもの路線は諦めたほうがいいんじゃない?お母さんが作っちゃうかもしれないし」
「それもそうだな」
サスケが出かける前、ミコトは料理の本を読んでいた。
今夜の食卓にはイタチの好物が並ぶのだろう。
サクラの言うことは尤もだ。
「とにかく、イタチさんが好きなものを考えましょ」
「サスケ、なにかないのかよ」
「兄さんの好きなものか…」
また問われて考える。
兄さんが好きなもの。好きなもの。好きなもの。兄さんが「好きだ」と言っていたもの…。
超長考の末、おずおずと顔を上げる。
「…おれ?」
快晴の空の下、ナルトとサクラは長い溜息を吐いた。
二人と別れたサスケは木の葉の大通りを抜け、川沿いを当てもなく歩いた。
大通り沿いの店はナルトとサクラを連れてほぼ見て回ったが、やはりぴんとくるものがない。
その折、土手下に知った顔を見つけた。サイだ。
彼も今日は休日のようで、写生をしている。
「よお」
サスケは土手を下って、背後からサイに声をかけた。
サイもサスケには気が付いていたのだろう、写生帳から顔を上げることなく生返事を返してくる。
サイは川面を描いているようだった。
「アンタにも兄がいるんだって?」
「正確には、兄と慕っている人だよ」
「もし、そいつに何かを贈るとしたら…」
やはり絵を贈るのだろうか。
サスケが言葉を途中で止めてしまったためか、それとも一段落ついたのか、サイが漸くサスケを振り返る。
「今日はイタチさんの誕生日か何かかい?」
「なぜわかる」
「いや、わかるだろ、ふつう」
サイはいつもの微笑を浮かべたままそう言ってから、「そうだねえ」と写生帳をぱらぱらと捲る。
サイは風景画を好んで描くらしかった。
「うん、やっぱり絵かな」
「アンタくらい上手ければ、喜ばれるだろうな」
「どうだろう。ぼくもそういうのはよくわからないけど、たぶん巧拙じゃないよ。どれだけ下手くそでも、それがその人だけのために描かれたものだから、喜んでもらえるんだと思う」
君も絵を描いて誰かに贈ったことがあるんじゃないのかい、と問われて考える。
そういえばアカデミーのころに、家族の絵を描かされたことがある。
忍術を教わるアカデミーでいったいなぜそのようなことをしなければならないのかと当時は憤ったが、きっとイルカは忍術以外のことをも子どもたちに教えたかったのだろうと今では思う。
サスケは被写体にイタチを選んだ。
あの描き上がったお世辞にも絵心があるとはいえない絵の行き所は、記憶を手繰り寄せれば兄のもとだ。
「…いや、やっぱり、今のおれには無理だ」
きっとイタチはサイの言う通りの理由で喜んでくれる。それは間違いない。
けれど兄の絵など描いて贈った日には、あの兄のことだから昔に贈った絵も引っ張り出してきて並べて飾るなどということをやりかねない。
そもそもこの歳で贈りものが似顔絵というのは、やはり恥ずかしい。背筋がぞわぞわするくらい恥ずかしい。
「ていうか時間的に無理なんじゃないの?」
サイが見上げた先で太陽は一路西を目指していた。
「あれえ、サスケじゃないの」
空腹を抱え、疲れた足を引き摺って、とぼとぼと帰路を歩んでいたサスケに声をかける者があった。
カカシだ。
振り返ると、カカシは買い物の帰りなのかスーパーの袋を片手に下げ、いつもの通り「いちゃいちゃパラダイス」を読んでいる。
「よっ」
「……」
カカシが追い付いてきたので、サスケもまた歩き始める。
そんなサスケをカカシはいちゃパラを読む横目で見遣った。
「どうした。なんか落ち込んでない?」
問われて、サスケは口籠る。
イタチへの贈り物は結局手に入らなかった。納得できないものを渡す気にはなれない。
かといってこれ以上悩む時間もない。夕食までには帰らねばならないのだから。
サスケは半ば自棄になってカカシに今日のことを話した。
だが話しているうちに、そうだ、と一縷の希望を見出す。
カカシはイタチよりも年上だ。今日相談した中で二十一歳を唯一経験している大人の男なのだ。
「なあ、アンタは二十一の時、なにをもらったら嬉しかった?」
「二十一の時ねえ…」
う〜んと悩むカカシは、それでもいちゃパラから目を離さない。
そして、なかなか答えも言ってはくれない。
サスケは焦れた。
「おい」
「ん?」
「ちゃんと考えてるのかよ」
「考えてるよ」
「じゃあ、それ、読んでる意味ないんじゃねえの」
「こっちも頭に入ってるから大丈夫」
「本当かよ」
「ほんとほんと。なんなら前のページの内容を暗唱してやろうか?ええと、『イタオがチャラスコの乳房を柔らかく揉みしだけば、淫乱なチャラスコが存外可愛い声で…』」
「ちょっと待てえええ!!こんな往来で暗唱するな!捕まるぞ!おれの父さん警察!ていうかイタオとチャラスコってなに!チャラスコとかおかしいだろ!」
「これ、いちゃいちゃパラダイスの新刊。いちゃいちゃパラダイス疾風伝」
「いろいろ疾風しすぎだろ!」
「そうかあ?……あ」
とカカシはぜいぜいと息をするサスケにずいっといちゃパラ疾風伝を差し出した。
目が合うと、にこっと笑う。
「イタチ、これ、きっと喜ぶと思うよ」
瞬間、サスケはいちゃパラ疾風伝をはたき落した。
「あ〜なにするの」
「こんなもん、兄さんが喜ぶはずないだろっ。兄さんはアンタとは違うんだっ。兄さんは完璧なんだっ」
「でもさ、イタチだって大人の男だろ。一皮剥けば案外…」
「アンタに相談したおれが莫迦だった。間抜けだった。阿呆だった。ウスラトンカチだった」
「なんかそれ全部おれに向けてるよね」
「もういいっ。帰るっ」
「イタチもチャラスコは気に入ると思うぞ」
などとカカシがくるり背を向けたサスケの背に言っていたが、サスケがカカシを振り返ることは二度となかった。
「というわけで、おれはすごく疲れている。足が怠い」
サスケは話し終わると、イタチの手から団扇を奪い返した。
任務では数十キロの移動も平然とやってのけるサスケだが、里中を歩き回ったというのに目的を達成できなかった疲れのためか今日は身体が火照っている。
「兄さんのせいだ」
「おれのせいか」
「あれが欲しいとかこれが欲しいとかないのかよ」
そうであれば、こんなに悩み疲れることはなかった。
すると、イタチはくっくっくっと喉を鳴らした。「おかしいな」と言う。
「サスケはおれが欲しいものが分かったんじゃないのか?」
「いや、全然」
「みんな、そっとお前に教えてくれている」
イタチが好きなもの。サスケだけがイタチに差し出せるもの。大人の男であるイタチが喜ぶもの。
いったい何だというのだろう。そんなものが本当にあるのなら、サスケは今からでも走って手に入れに行くというのに。
サスケは今日一番の長考を試みた。だが、
「やっぱり全然わからない」
少しの後ろめたさを込めて言うと、イタチはいつも通りそんなサスケの小さな気持ちを汲んでくれた。
「仕方がないな」と笑ってくれる。
「いいさ。お前がそれが何かわかったときにくれればいい」
「おれ、わかるのかな」
「わからなければわからないでかまわないんだ。それにもしお前がおれの気持ちに気が付いたとしても、それをくれなくったていい」
と相も変わらずイタチの言うことは雲を掴むようだ。
イタチはそれで満足なのかもしれないが、置いてけぼりのサスケはどうにも納得がいかない。
憤って、俯く。
「でも、それじゃあいつまで経ってもおれはアンタに何もあげられない」
間があった。
サスケに続ける言葉はない。
けれどイタチがきっとまたやさしくも曖昧な言葉でサスケを救ってくれる。
そう知っているからこそ、それを待つばかりの自分がどうにも情けない。
「サスケ」
ほら。名を呼ばれた。このあとはたぶん額を小突くに決まっている。
ちらりと上目でイタチを見上げようとした、その時、サスケの剥き出しの足がイタチにぐいっと引っ張られた。
唐突の出来事に驚いたサスケの背が畳に打ち付けられる。
「いってえ」
なにすんだ。と抗議の声を上げようとして、サスケは呆気にとられた。
自分の足の指の先で、兄が形のいい唇の片端を上げている。
「そんなにおれにもらって欲しいんだな?」
問われて、思わず頷く。
すると、イタチは破顔した。
「じゃあ、今年は少しだけもらっておこう」
イタチは言うが早いか、あっという間にサスケの足の指を頬張った。
そして凍り付いて混乱するサスケを余所に、イタチは丹念に指の一本一本を舐っていく。
イタチの口の中は温かくて、舌は妙にいやらしい。
サスケの足の指を舌先で擽って、それからちゅっちゅっと音を立てて吸うのだ。
「兄さん…っ。ちょっ…やめろっ…、……あっ」
そう言うサスケの声は弱々しい。息も切れ切れだ。ただ身体が熱い。腰の奥がずくずくと脈打っている。
どうしよう。やめて欲しいのに、もっといっぱいして欲しい。
どうしよう。足だけじゃなくて、身体のいろんなところにもっといっぱいして欲しい。
だがそう叫んで兄に縋ってしまう前に、イタチは口に含んでいたサスケの足の指を離した。
そうして最後に恭しく持ち上げた足の甲にちゅっと接吻ける。
「あぅ…兄さん…?」
「おれのために歩き回ってくれたんだろう?お前のこの足がなによりうれしいプレゼントだ」
もういつも通り穏やかに微笑む兄の前で足を捉われたままサスケはへなへなとへたり込んだ。
来年おれはどうしたらいいんだ。
ところでイタチが帰ってきたときから居間で新聞を読んでいたフガクは、いつ咳払いをするかを悩んでいた。
妻よ、おれたちは息子たちの育て方を間違ったらしい。
人生の重大な岐路に立たされたフガクの隣で、また長男が次男のもう片方の足を取り「どうせならこっちももらっておくぞ」などと言っている。
次男も次男で「もう、またかよ」と満更でもなさそうに長男に早くも絆されている。
咳払いをしようかしまいか、フガクの悩みは尽きない。