01 水溜まりの道
※ 8才イタチ×3才サスケ
一昨日から降り続いた雨は、通りにいくつものちいさなうみを作った。
昨日のまっくろな雨雲をもう忘れてしまったらしいきれいな空が、水たまりを青色に染めている。
そうしてときたま白い雲がうみからうみへと、とてもゆっくり泳いでいくのだ。
まだ三歳のサスケは、そういうのことがたまらなく不思議なのだろう、まるでこの世の深淵を探る博士のようなまなざしで、しゃがみこんで青のうみをじっと見ていた。瞬きをする間すら惜しんで。
一方もう八歳のイタチは、ちょっと困った。
世界に起こる事象のすべてを理解していると思うほどの傲りはないが、だからといってサスケのように水たまりひとつになにか新しい世界を発見したような、そんな心持ちにはなれない。
それにたとえ自分が三歳であったとしても、サスケのようにはしないだろうし、事実サスケのようではなかったろうとさえ自覚をしている。
きっとあの水たまりが忍びの術かなにかであれば気にかけただろうが、そうでなければ、イタチにとっては「そうでない」というだけの水たまりだ。
だがサスケはちがう。
イタチには「そうでない」だけのものが、サスケにはきっとイタチには想像もつかない美しい「なにか」に見えているのだろうし、そういったなにか美しいものが見えるよう見つめられる時間をサスケは許されている。
自分が持ち合わせなかった、いやもしかしたら持ち合わせる時を取り上げられてしまった、そういうものをこの弟が持てることに、与えられていることに、イタチはとても感謝していた。
だれにいったいありがとうと伝えればいいのかはわからなかったが、だれにでも、いや、だれにだって、サスケの健やかな子どもらしい成長を約束してくれるのならば、イタチは信心深い信徒のように深々と頭を垂れるだろう。
だけれども、イタチは今はやっぱりちょっと困っている。
なにせ呼んでも促しても、サスケは水たまりの淵から動こうとしてはくれないのだから。
そもそもの経緯はこうだった。
雨が二日も続いた、その翌日の今日昼下がり、母のミコトがアカデミー帰りのイタチを台所に呼ばわって言ったのだ。
「母さんはお洗濯で忙しいから、イタチとサスケはお買い物に行ってきてちょうだい」
ほらもうあれやこれがないの、と冷蔵庫を開いて見せられる。
なるほど、この二日の間に牛乳やら卵やらは尽きてしまったらしい。
冷蔵庫はすかすかだ。
サスケはイタチの隣で「食糧調達」といううちは家の兵站任務に張り切ったが、イタチは母から財布を預かりながら、これはサスケの子守もせよということか、と母の真意も理解した。
だいたいアカデミーから帰ってくればすぐに宿題をするよう言う母が、お使いを頼むほどなのだ。
食糧は乏しく、洗濯物はたまっているにちがいない。
そういうことですね母さん、と目で問うと、そういうことよイタチ、と笑顔で答えられた。
そういうわけでイタチはサスケの手を引いて出かけたのだ。
子守はできている、とイタチは思う。
母は今ごろ溜まった洗濯物をせっせと干しているだろう。
だが、食糧調達の進捗はどうだろうか。こちらは芳しくない。
イタチの手にはまだ母から預かったお金がそのまま残っている。
困ったな。
イタチはサスケがしゃがむ水たまりの反対の淵に同じようにしゃがんでみた。
サスケはこれっぽっちも飽きていない様子で、小さなうみを覗いている。
しゃがんでみたのは、そうすることでサスケの見えるものが見えるとまではいかないまでも、うっすらと輪郭くらいは捉えられるかもしれないと思ったからだ。
だが、水たまりは、やはり水たまりにしか過ぎない。
空と雲が写り込んでいる様も、それ以上はなにもなく、ただそれだけだ。
サスケがじっと見ている、そのわけがよくわからない。
わからないので、よく人からほめそやされる洞察力というやつが、なんだか今日はまったく役には立たない。
つまり、今、イタチにはさっぱり見当がつかないのだ。
どうしてよいかわからない。
サスケをこの青のうみから掬い上げるすべがどうしても見つからない。
そんなふうにして困り果て、果てた先、またひとつ大きなくじら雲がゆうゆうとうみを越えたころだった。
不意にサスケが顔を上げた。
目が合う。
サスケは瞠目した。
「なあに?」
兄がまさか対岸にしゃがみこんでじっと自分を見つめているとは思いもしなかったのだろう。
それでもイタチが返答せずにいると、開かれていた眸が今度は不安に少し揺れる。
「兄さん?」
「サスケ」
イタチは弟を見据えた。
それからイタチにしてはとても珍しいことに、こころ内を素直にこうだと明かした。
「おれは困っている」
それはお前がいつまでもそこから動かないからだ、とも言ってやる。
決して責めたわけではなかった。
ただここにある事実を淡々と述べたに過ぎない。
だが弟は、みるみる肩を落とし、眸を伏せた。しおしおと萎れてゆく花のように、しょんぼりとする。
「ごめんなさい、兄さん」
そうしてすぐに立ち上がろうとするサスケを止めたのはイタチだった。
「いや、いいんだ、サスケ」
うみには今度は流れ星の尾っぽのような雲が流れてくる。
そう、イタチは見つけてしまったのだ。
相変わらず水たまりは水たまりであるし、雲は雲だ。
幼いサスケにしか見えないものは、やっぱりイタチには見えないし、わかりもしない。
だが、見つけてしまったのだ。
サスケにイタチには見えないものを見つめられる時があるように、イタチにはサスケを見つめられる時が今まさに与えられている。
そういうことに、今、気がついた。
サスケの見つめているものを不思議に思い、こうだろうかああだろうかと様々に考え、たとえたどり着く答えがなかったとしてもだ、ひたすらにひとつの何かだけを見つめられる時間のなんと幸福なことか。
困る、ということさえ、幸福の内側にあるのだ。
驚きだった。
新鮮だった。
腹の内から温かいものが体に沁みわたっていくようだった。
サスケの生まれる少し前、あれはひどい時代だった、そのころにイタチの手からするりと逃げてしまったものが、今この幼い弟のちいさな手からイタチに与えられている。
返されている。
ときおり抱き上げてやる弟の体が温かいのは、きっとこんなにもやさしい時が弟に流れ、満たしているからなのだろう。
「いいんだ、サスケ」
イタチは繰り返す。
洗濯物はまだきっとたくさんにある。卵も牛乳も出番はもう少し後だろう。
アカデミーの宿題は、今日もかんたんだ。サスケが眠った後に済ませればいい。
そう、後でいいのだ。後でできるものなのだから、後ですればいい。
サスケはすぐに大きくなる。
そうして自分はきっと、もっと、はやくに。
だから今この時には限りがある。
「サスケ」
やさしい幸福な時は有限なのだ。
「もう少しのあいだなら、きっと許される」
それからサスケは青いうみを渡る流れ星を見た。
イタチはサスケの眸を流れる星を見た。
それは、とても美しい星だった。