修道院時代

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  言ノ端七題 Brothers 7  


■1:眠る男

 オディロ院長が時折修道士や騎士たちに聖書を語って聞かせる場にさえ、ククールは遅れてやって来た。
 どれだけそろりと開いても古い修道院の扉の音は低く響く。「どうせククールだろう」と誰も彼を振り返りはしなかったが、ただ一人老院長だけが目配せでククールに静を促した。
 ククールは普段ならばそのようなことには鷹揚な院長に首を傾げたが、すぐに老院長の意図は分かった。
 修道士や騎士たちが腰掛けた長椅子の最も後ろ、珍しく姿を見せた騎士団長が一人離れたところで、腕を組んだまま眠っている。
 きっと隣に座ってしまえば彼は目覚めてしまうだろうから、ククールは通路を挟んだ長椅子に一人腰を下ろした。
 そこは少しだけ、兄の隣。
 老院長が女神の光溢れる中庭について説いている。



■2:噛む男

 その眸にククールを映すマルチェロが奥歯を噛む。
 ギリリと噛む。
 その音のみククールの胸の傷に響く。
 キリリと響く。
 夕暮れにドミノーレの調べ。



■3:拾う男

 針の先のような痛みをもたらす冷たい雨はそのうち雪混じりになった。
 ククールは白い息を吐く。
 その場を動けないのはその白さ故ではなく、魔物との交戦中に負った脇腹の傷のため。騎士見習いの青い服の一部が青紫に滲んでいる。
 それほど深い傷ではなかったが、魔物を散らすのに手間取り、出血は雨も手伝って予想よりも多いらしい。血のにおいを嗅ぎ付けて他の魔物が寄って来る前に騎士団に戻らねばとは思ったが、傷の応急手当に魔法を使用したところで魔力は尽きてしまった。
 こんなことになるのなら訓練をさぼってドニに行かなきゃ良かったと自分に毒づく。
 ドニに戻る方が距離としては短いが、魔物を町に近付ける様なことはしてはいけない、したくない。
「俺、すげー騎士に向いてるんじゃね?騎士道精神ばっちりあるぜ」
 ククールは白い息を吐き、知らず知らずの内にゆるゆると眸を閉じた。

 ***

 目を覚まして最初に見たのはいつもと変わらない騎士団員宿舎の壁だった。
 暖炉には炎。
 だが焼べられた薪は炭部分があまりに少なすぎる。
 魔法で点火したのか。ククールは思った。
 目を転じれば窓。騎士団員宿舎から出て行く一人の騎士の後姿を見つける。



■4:焦る男

 人気のない礼拝堂に入ったサヴェッラの高僧は足音さえ響かせず、女神像の前に伏した。
 マルチェロは彼の祈りのときが経るのをただ佇み、待つ。
 やがて立ち上がった彼は神を背に言った。
「マルチェロ、この世で唯一悪魔に誘惑されぬ者を知っているか?」
 その声ばかりは礼拝堂の高い天井に響く。嗄れた声。
 マルチェロは「さあ」と肩を竦めた。
 老いた僧は今度は足音を僅かに立てながらマルチェロの元へと歩いた。
「悪魔そのものだよ」
「なかなか面白い持論をお持ちのようですね」
 マルチェロは眸を閉じ、やがてゆっくりと微笑する。
 交わる視線。
 そして擦れ違う。
 老僧は扉を自らの手で開いた。
「悪魔に魅入られる者は澱んだ目をしておるが、お前はなんとも暗く美しい光を持っているな」
 開かれた扉からは光が押し寄せる。
 老僧は去り、柱の影に身を潜めていたククールは女神像の前に立つマルチェロに言った。
「俺が澱んだ目をしているか確かめてみますか?」
 マルチェロは一瞬の思惟に眸を伏せる癖が今でも偶に出る。
 たぶんククールしか知らない。



■5:泣く男

 まだマルチェロが聖堂騎士団の団長の座に就く前、けれどその存在が日増しに騎士団内で大きくなっていた頃のこと。
 所謂良き血を尊ぶ者たちはマルチェロの姿を見掛ければ声を潜め、それが三人以上であればマルチェロの出自を揶揄するような言葉を発した。
 マルチェロが何事かの用事でククールを連れている時には更にそれが高まった。
「あいつら…!」
 騎士見習いのククールがいい加減彼らの言葉を聞き流せなくなり、足先を彼らに向ける。
 しかしその肩をマルチェロが強く引いて留めた。
「よせ」
「でも」
 ククールがマルチェロを見上げる。
 するとマルチェロは彼らにせせら笑いさえして見せた。
「好きなように言わせてやれ。どうせ今に自ら口を閉じるようになるだろう」
 彼らのような人を嘲笑う数だけ、マルチェロは泣かずに泣いてきたのだとククールは思った。
 故、彼らに遣った視線を目線を兄の背へ向ける。
 彼はもう一人歩き出していた。



■6:待つ男

 扉は彼によって開かれた。光がそこに満たされていた闇を払い、押し寄せる。
「団長殿?」
 彼は呼んで、光を背に負い奥へと踏み出す。はじめは光の中を、やがて光と闇の狭間を。
「団長殿?」
 だが彼が目指す先は扉からは遠過ぎた、離れ過ぎていた。光が徐々に途切れ始める。
「団長殿?」
 そうして闇へ、闇へ。
 彼には振り返れば光があるというのに、その背には光があるというのに、
「団長殿?」
 彼は私を探して光から遠ざかるばかり。
 だが彼が私を探し求めることによって、光は私に届く前に彼によって閉ざされる。
 皮肉なことだ。
「兄貴?」
 彼の背にさえ光が届かぬくらい、彼が闇に深く入るのを待つ。



■7:薫る男

 彼は芳しい人。
 おぞましい魔物を鋼鉄の剣で斬り伏せて尚、芳しい人。
 黒い返り血に染まる彼こそ匂い立つ。
 彼は芳しい人。
 満たされた月、針の月、隠れた月を負って尚、芳しい人。
 夜の静けさに怯まず沈む彼こそ匂い立つ。
 彼は芳しい人。
 太陽の下、神を唱える芳しい人。
 女神の下、祈りにより世界は救われると平気で嘘を吐く彼こそ匂い立つ。
 ククールは跪く。
 ククールは伏せる。
 ククールは彼の鋼鉄の剣に接吻けをする。
 彼こそ心寄せるべき人。
 愛しい人。
 愛しいただひとりの兄。


お題配布元:ヒソカさま

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