Gemini Body 15







 「サガよ」

 サガの掌の温もりを頬に感じながら、眼を閉じる。

 「俺には、この上なく、残念なことがこの世にあるのだ」

 サガの中指の指先が目尻に触れてきて、

 「なにが残念なのだ、カノン」

 見つめられていることが解って、眼を開ける。

 人差し指が耳の後ろに回される。親指が頬を何度も何度も頬を掠めるように行き交って、

 「俺の頬に触れているこの手を、見れないことが残念なのだ」

 俺の両頬を包んでいるサガの掌。俺の耳やら髪に絡まっているサガの指。

 嗚呼、けれど、それを見てしまったら、きっと取り返しがつかなくなる。

 「お前の分まで、私が見ておこう」

 サガが笑むから、俺は気恥ずかしくなって眼を伏せた。







 夜半過ぎ、蒼白いやわらかな光の元で寝台に横たわるカノンをしばし眺める。

 左の脇腹を下にし、片手を枕に眠っている。

 規則正しい寝息はカノンの眠りが深いことを私に教えていた。

 そろりと手で頬に触れる。撫でるとカノンの頬は私の手よりも少し冷たかった。

 カノン、と声には出さず、口の形だけで呼んでみる。

 ぎしりと寝台がより深く沈んだのは、私が片膝を乗せたからだろう。

 頬に触れていた手で、カノンの顔に掛かった彼自身の髪を後ろへと流して梳く。

 その代わりのように、今度は私の髪がカノンの顔に掛かり、

 「…サガ?」

 カノンのうっすらと開いた眼に私の姿が映る。

 カノンはしばし私を寝惚けた眼で見上げていたが、不意にゆるゆると片手を伸ばしてきた。

 そしてそのままカノンの顔へと垂れていた私の髪にその手が差し込まれる。

 「お前の髪…」

 くすぐったいぞ、と真剣に云われた。

 「それはすまなかったな」

 そう云いつつももう片脚を寝台に乗せた私を、カノンはやはり何処かまだ夢の中で見ていた。

 「サガ」

 「うん?」

 カノンの頬に触れていた手を、今度はその髪に差し入れる。けれど、

 「このまま寝ても良いか…」

 今すごく気持ち良いのだと本当にうっとりと云われたら、折角の夜這い心も揺れてしまうというものだ。

 「…ああ、良いよ」

 今夜は勘弁してやろう。







 何故お前はそんなにも苦しげな顔をしているのと、サガは哀しげな顔をしながら、俺の首を締め上げる。




背中



 名を呼ばれたような気がして、眼を覚ました。

 少し眼を開け、寝台の上の寝心地を正し、再び瞼を降ろす寸前、

 「サガ…」

 カノンが私の名を呼んでいたのだと解った。

 肩越しに振り返ると、カノンは私に背を向けて同じように寝台に横たわっている。

 「…どうした、カノン…」

 問うと、カノンの声は私よりもはっきりとしていた。

 「寝返り…するな」

 「寝返り…?」

 「そうだ。俺の方を向いて寝ていたくせに、寝返りをするな、と云っている」

 「ああ…」

 身体を反転。きっと先程までは私と向かい合うように眠っていたのだろうカノンの体を背後から抱く。

 カノンは云った。

 「背を向けられるのは、嫌いだ」

 回した手に手を重ねられ、少し力が込められる。少し痛かった。

 「…すまなかったな」

 「別に…」

 お前の痛みは、きっとこの手の痛み以上のものだったのだろう。

 「カノン。痛くして、すまなかった」

 カノンは、ああと答えて、そのまま眠りへと落ちていった。




つま先


 今日もサガの爪先を見ながら、サガの話を聞く。

 今日は何があっただの、今日は何をしていたかだの、けれどそんなことには上の空で、

 するとサガの声がだんだんと苛立ってくるのが解った。言葉の端々が刺々しい。

 それでもサガの爪先を見ながら、適当に頷いていると、ついにサガの手が伸びてきた。

 「顔を上げなさい」

 そんなに掴んだら、顎の骨が折れるだろう。

 サガは怒っていたし、サガは疲れていたし、サガはいつも何処か悲壮感を漂わせている。

 「お前の」

 「…よく聞こえない、カノン」

 「お前の、その面を見るのが嫌なんだ」

 サガの手を振り払う。きっと掴まれたところが赤くなっているだろう。

 「疲れているなら疲れていると云えよ!辛いなら辛いって云えばいい!」

 そうやって何も云わないで、けれど顔には出して、それで俺が同情してやったら、お前は怒るんだ。

 「可哀相振る奴は嫌いだ。それで可哀相って云ってやったら喜ぶ奴はもっと嫌いだ」

 けれど、お前のように喜びもしないで、怒ってばかりで、何を云っていいか解らない奴はもう見たくない。

 うんざりだ。

 「サガ、お前はどれだけ俺に、無力を、惨めさを、突き付ければ気が済むのだ」

 お前はどうしたら幸せそうに笑えるの。サガの爪先が滲んで見えた。







 ふたり並んで、何処か遠い異国に落ちる夕陽を見ていた。

 「カノン」

 呼ばれてカノンが振り返る。

 「なんだ、サガ」

 そう云ったカノンの眸を覗き込めば、

 「お前の眸は時々遠い過去を見ているような気がする」

 サガはカノンの両頬を両手で覆った。

 「カノン。私は思う。そこに映る過去が、お前にとってやさしいものならば良いのだが」

 それを聴いて、カノンは眸を細めた。

 「今はとてもやさしいと感じている」







 サガのくちびるが好きだ。

 とても形がよいから好きだ。サガの言葉が紡がれるから好きだ。俺の名をを形取るから好きだ。

 微笑しているときのラインが好きだ。笑っているときの開き具合が好きだ。

 怒っているときの真一文字が好きだ。哀しんでいるときの閉じた感じが好きだ。

 何かを云おうとして、やめたときの、開閉が好きだ。

 俺にちゅうしてくれるから好きだ。俺にえろちゅうをしてくれるから好きだ。

 重ねたらぴったりだから好きだ。触れたら安心するから好きだ。

 触れられたら気持ち良くなるから好きだ。身体のいろんなところを辿ってくれるから好きだ。

 サガの気持ちがたぶん一番詰まっているから、好きなんだ。




鎖骨


 痛いという意の短い言葉を珍しくサガが零した。

 回し突き上げていた腰の動きを止めると、カノンが眼前で不満げな顔をする。

 サガは見下ろしてくるその眼に構わず、カノンの腰にそえていた右手を自らの体に這わせた。

 鎖骨を辿ると、カノンの歯形が付いていた。

 「カノン」

 サガが窘めようとすると、しかしカノンはその手を払い、また歯を立ててきた。

 ゴリゴリとまるで骨と骨が削り合うような、不快な音が響く。

 「カノン」

 「カノン」

 「やめろ、カノン」

 辛くて咬みたいならば肩にしろとサガは云ったが、カノンは相変わらず鎖骨を咬む。

 このままでは喰いちぎられる気さえした。

 「カノン」

 サガがこれが最後だとばかり声を押し殺して云うと、カノンは自ら腰をサガに打ち付けて、嘆く。

 「ああ、だって、お前が足りないのだ」

 お前の肉も骨も内臓までも、お前の身体ならば俺は何でも喰えるのだとカノンは果てた。







 雨がしとしと降っている。窓辺に座って本を読む。

 雨だなと解りきったことを云いながらサガが本を片手にやってくる。

 くちびるが腫れるほどの接吻けをして、ふたりで互いの爪をくちびるに押し当てた。

 冷たくて気持ち良いと笑い合う暇な雨の日。







 最近はふたりで向かい合って眠るようになった。

 正確には、以前故意にではなかったがカノンに背を向けて眠ったことを咎められて以来ずっと。

 だからと云って、早々に眠れる日が毎日続くわけでもなく、

 そんな時にはお互いちょっかいを出して愉しんだ。子供じみていると解っているがやめられない。

 今日も「寒い寒い」とカノンが、折角私が温めたベッドに入ってくる。

 足の裏でカノンの脚に触れれば確かに冷たく、このままでは体温を奪われると引っ込めたなら、

 熱を寄越せと云わんばかりに、カノンの足の裏が私の両脚の間に侵入。

 その内ふたりの脚が複雑に絡み合い出して、

 左右で向かい合っていたはずが、いつの間にか上下で向かい合っていた。カノンは笑った。

 「結局こういう温め方になるのな、お前って奴は」

 接吻けと愛撫でカノンの両脚が開き出す。どうぞ身体を入れて下さいとでも云うように。

 「カノン」

 「うん?」

 お前の徐々に開いてゆく脚が好きだよ。お前の少しずつ立ってゆく脚が好きだよ。

 お前が私の身体と私が与える快楽を必死に拘束しようと絡めてくる、その脚が好きだよ。

 「嗚呼、今そんなこと云うのは狡い」

 カノンはまるでそう云うが如く、その内股で私の腰を擦り上げ、

 それから、ほら、その熱くなった脚を絡めておいで。







 偶然教皇宮の廊下通りかかったカノンを見かけたので、

 戯れに拘束して近くの部屋に連れ込んでやった。

 「バカ…!お前こんなところで…!」などと煩く騒ぐので、よしよしとばかり抱きしめる。

 最初は拘束を解こうと暴れていたカノンだったが、その内抵抗も止んだ。

 髪を撫でれば、カノンは実はこうしたかったと云うかの如く肩に頬を預けてくる。

 「悪戯が過ぎるぞ、サガ」

 カノンはぽつりと呟いたが、悪戯、ね。

 「これが悪戯ならば、悪戯と知って身を委ねるお前が私を責めれるのか?」

 そう問うとカノンは小さく笑った。

 「俺は昔から悪戯が大好きなのだ」

 「いけない子だ」

 そうカノンの耳元に吹きかけた私の腰にカノンの手が伸びてくる。

 「カノン、お前は本当にいけない子だな」

 さすがにここでする気はないぞ?しかしカノンは肩をすくめた。

 「俺もそんな気はない」

 ただ、と付け足す。

 「俺、お前の腰骨が好きなのだ」

 だから触らせろと云う。

 どうして好きなのかと問うと、触り心地満点、視覚的にエロティックで最高だと褒められた。

 「何より俺を悦ばせてくれるから、好きだ」とカノンが何ともわざとらしくうっとりするので、

 今日は私の負けだ。カノンの腰を引き寄せる。

 「カノン、何がそんな気はない、だ?」

 本当はして欲しかったくせに。

 「云ったろう、兄さん。俺は悪戯が大好きなのだ」







 深夜、寝室に誰かの気配を感じて眼を開ければ、カノンが私の腰に馬乗りになっていた。

 サガよ、と呼ばれる。

 「心とは何処にあるものだろうか」

 その哲学的な問いに、自由な手で髪を掻き上げながら答えた。

 「脳だ」

 「脳?そうか。しかし、サガよ。俺は胸にあるのではないかと思うのだ」

 カノンは私の夜着をはだけて、その掌を胸に這わしてくる。

 何処か儀式めいたそれに、私は黙ってされるがままになった。

 「サガよ。俺は心とは胸にあるのではないかと思うのだ」

 カノンの手がやがてゆるりゆるりと私の左胸へと達する。心臓部の肌にガリリと爪を立てられた。

 この痛みから察するに、皮膚の一部はもっていかれただろう。

 「なあサガよ。ここを貫いて、鷲掴みにして、引き抜いて、そうして俺に入れれば」

 お前の心は手にはいるのだろうか、とカノンが云う。しかし私は答えた。

 「死ぬだけだ」

 カノンは唐突に笑った。

 「では俺はどうして生きているのだろう」

 何もかもお前に持って行かれて、俺はもう空っぽだとカノンがぐらりと倒れ伏す。







 のたのたとキッチンへ行くと、サガが朝飯の支度をしていた。「おはよう」と振り向き様に云われる。

 サガは、しかし手を休めることはない。

 俺も「おはよう」と云いたかったのだが、生憎先に欠伸が出た。そのあと漸く「おはよう」だ。

 冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取りだして、口に付ける。

 そうして喉の乾きを潤しながら、シャツの裾から手を潜らせ腹を掻く。うー、かいかい。

 すると不意にサガがこちらを見て、動きを止めている姿が眼に入った。

 「なんだ?」

 ちょっとお行儀が悪かったかなと考えていると、手首を取られる。

 「な、なんだよ」

 すいっと近付いたサガの真顔に腰が引けて、ああ情けない。

 「カノン」

 「だから、なんだ?と訊いている」

 視界の端でサガのもう片方の手が動く。

 あ、まずい、と思った瞬間には、サガの手は俺の手を辿りシャツへと侵入してきていた。

 「お前がね」

 「サガ、手…」

 「私に触れるのが好きという理由が解った気がする」

 サガは朝からクラクラな微笑を浮かべてみせた。

 が、一方で隠れた手は俺の腹を淫らにまさぐっている。臍に指立てられたなら、声が漏れた。

 「あ…」

 「カノン」

 「っあ…やめろ…って、サガ」

 「お前の腹チラ」

 「ぅん…」

 腹チラ?更にサガの微笑が迫って、俺の耳に囁いた。

 「かなり、きたぞ」

 「あう…」

 背筋がゾクゾクする。

 「サガ…」

 ちょっともう凭れ掛かって良いか?







 ふたりで買い物、並んで歩く。

 サガは左のショーウィンド、カノンは右のショーウィンドに気を取られ、

 「あ」

 好みぴったりの腕時計を発見カノン。

 「サガ、あれ」

 思わずサガの腕に左手を添える。

 「カノン」

 サガが振り向いて。

 「う」

 カノンが呻く。

 問題の左手はそれでもどうしても離せない。




全部ひっくるめて


 欲しいと思って、それを得れる瞬間は、

 サガ、お前がね、なにげない仕草で俺の額に微かな接吻けを落としてくれるとき。

 お前の整った顎の形を眺めながら、時々涙が出そうになる。





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