スタンド・バイ・ミー
姿がとんと見えず、どこへ行ったのかと思っていたサガが、
なんのことはない、居間のカウチでごろり横になり眠っていたので、俺はどうと疲れた気分になった。
こうしてまたお前がそのように独り占めをするから俺の場所がなくなるのだぞ、
などと冗談3分の2で心中呟き、仕方なく床に胡坐をかく。
そうしてサガの寝息に耳を擽られながら読書に耽っていると、ふいに「おいカノン」と呼びかけられた。
思わず手で耳の辺りを払う。
「耳元で呼ぶな」
「耳元で呼ぶしかないような態勢になっていたのだ。私が眠っている間にな」
それじゃあ体を起こしてから呼べばいいではないかと反論すればよかったと気付いたのは、
それから多分1分後くらい。
思わず口から滑り出した言葉は「悪いか」だった。お前の傍にいたら悪いか。
するとサガはまた耳元でくすくす笑った。
「お前はすぐにそうやって物事を良いか悪いかで決めたがる」
「それは兄譲りの性分だ」
「ああそうかもしれんな」
サガはそう云ってから俺が読んでいた書物のページを勝手に捲る。後ろから覗き込んでくる。
「おい、サガよ」
「言外に傍にいて欲しいと云っているのが分からぬお前ではあるまい?」
ああ漸くこの兄は、善悪の物差しから少しだけ、俺の前でだけでも、抜け出すことが出来たのだな。
ああそれはとても良いことだと思った俺はまた少し置いてけぼりを食らっている。
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あまずっぱいちご
サガがしゃくしゃくと大きな苺を頬張っている。俺は恨めしそうにそいつを見ている。
まだたんまりある器の苺にぷすりとフォークをさしたところでサガが言った。
「仕方あるまい。じゃんけんで負けたのだから。
それに昨日はやはりじゃんけんで勝ったお前が先にショートケーキを選んだではないか」
「だが昨日はお前にもきちんとチーズケーキが残っていた。
だが仕方ないと分かっているから、強請ってはおらんではないか」
「強請ってもやらんぞ」
「分かっているから強請らないと言っているだろうが」
「そうか」
しゃくしゃくとまたサガが苺を頬張る。
最近俺たちは互いにずるずると引きずられる性分だと気付いたので、情けを掛け合わないことにしている。
意外とうまくやっている。
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なかゆびわ
「ほら」
と前を通りかかったついでのようにサガが手を差し出してくるものだから、
「なに?」
と俺はついついそれを貰い受けようと手のひらを開いてしまう。
サガの手からころりと無造作に落ちてきたのは指輪だった。
「くれるのか」
俺はとりあえず読んでいた雑誌を伏せて、それをつまむ。
それからサガの「やる」という言葉を待って、指にはめてみた。目の上に翳す。
「おい」
「ん?」
開いた手のひらの向こう側、サガが紅茶を淹れている。
「ゆるい」
指輪がなんとも微妙にゆるっこい。逆さまにしても抜け落ちはしないが、なんだかゆるゆるしまらない。
「お前さ」
と俺は手のひらの向こう側にいるサガに呆れた。
「せっかく双子なのだから、まずは自分の指にはめてから買えば良いのではないか」
バカ、あほ、間抜けめ。などなど言ってやったが、だがサガもどうしてか呆れ顔。
「カノン。お前こそバカ、あほ、間抜けめ」
淹れたての紅茶を一口含んでからサガは俺の指を指差した。
「それは中指にするものだ」
な、ん、だ、とぉ。
俺はいそいそと薬指から指輪を抜き取り、中指にはめてみた。
サガはきっと自分の指にはめてから買ったのだろう、嗚呼ぴったり。
「カノン。どうして兄からの指輪を当然のように薬指にはめるのだ」
サガが気の毒そうに俺を見ているのだが、俺は最早それどころではない。伏せた雑誌の上に突っ伏した。
「おい、カノン」
「うるさい。俺は自己嫌悪と羞恥にあと三時間は忙しいのだ」
それからサガは何事もなかったかのように、いつものように夕食の支度をし、きっかり三時間後には、
「三時間経ったぞ。夕食にしよう」
とまたデリカシーのないことをするのだ。
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図書館にて
身長188cm。手をうんと伸ばせば2m少し。だが探しものの書はそのまだ高くにあった。
書架を眺めてまずは「ふむ」とカノンは左に首を傾げる。このままでは届かない。
次に右に首を「うーん」と傾げる。辺りに踏み台はなし。
最後にぐるりと振り返る。
「おーい、サガ」
「なんだ?それと図書館では静かにしろ」
それまで手にしていた書をぱたんと閉じたサガはカノンのもとへ寄って来る。
一度にいくつもの云いたいことを云ってしまうのは兄の悪い癖だとカノンは思った。
「あれ。届かんのだ」
何処かに踏み台か何かはなかったか。そうカノンは云いたかったのだ。
だがそう云う前に屈んだサガにひょいと膝辺りから持ち上げられてしまう。
「…おい」
「なんだ。早く取れ」
「これはいくらなんでも、どうかと思う」
ガキではあるまいに。カノンはなんだか誰もいやしないのに照れて恥ずかしくなった。
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平行線が折れ曲がる
「いいや、お前は絶対に体調を崩しているのだ。具体的には熱がきっとある。俺にはわかる。
だがお前が俺を信じぬのなら、体温を測ってみるといい」
そうカノンが云いきるので、サガは仕方なく外出の時間を三分先に延ばして体温計に手を伸ばした。
37.0。その数字にサガは「ほらみろ」という呆れた顔をし、カノンは不服そうに唸る。
「なに、たいしたことはない。たんなる疲れからくる微熱だろう」
「だ、だが熱は熱だ。こちらこそ、ほらみろ、だ。
体調を崩しているのも、熱があるのも、俺の予想通りだ。俺はやはり正しかった」
「まあ、疲れを体調を崩しているとし、37度程度を熱とするならば、
お前の言い分も分かるといえば分かるがな」
サガは体温計をしまいながら云う。
ここで熱がないと反論したところで益はないと判断し、カノンに折れることにしたのだ。
サガにとって今は外出することが何より優先すべきことなのだから。
「とは云え、たいしたことはない。出かけてくるぞ」
立ち上がるサガ。だがカノンが頑なに引き止める。
「はあ?なにを云っているのだ。風邪っぴきは寝ていろ。それ以外に何をすることがある」
「37度程度で、か」
「熱は熱だ」
「たいしたことはない、とこれで三度目だが、云っている」
「それはあくまでお前の主観的な意見だ」
「私を風邪っぴきとするのも、お前の主観的な意見だろうに」
サガはやれやれと天井を仰いだ。
これではいつも通りの平行線。双子であるのに、あまり気が合わないらしい。
「仕方がないな」
どうせ外出の用事は差し迫ったことではない。
カノンが遠まわしに「俺はお前を心配しているのだぞ」と言いたいことも最近では分かってきた。
「それでは今日は大人しく家で過ごすことにしよう」
「む。わかればいい。あと俺にはお前の、過ごす、と言い方がひどく気になる。
起きて何事かをする気ではあるまいな?
そして家で過ごしているだろう、などと言い逃れするのではないだろうな」
なんだ、とサガは苦笑した。なかなかこの弟も兄のことを分かっているではないか。
「はいはい。それでは今日は大人しく家で寝ていることにしよう」
そう云うと漸くカノンは満足げに頷いた。
それからサガはたっぷりと午睡をした。
時折目覚めたときにはカノンが部屋までやって来て、水だの、食事だのを運んでくる。
ああ、これでは15年前とは逆だなあなどと思いながら三度目の午睡に入ろうとしたとき、
カノンが「寒くはないか」と訊いてきた。
「もっと上掛けはいるか」
と訊ねながらも、もうすでにカノンはサガの上にまた一枚上掛けをかけている。
さきほど起きたときにも一枚。
暑い。サガはカノンが部屋を出て行ってから、照れも混じりこんだ暑さに満足げな苦笑いを漏らした。
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もう一回の白ヤギさん
ふらりと立ち寄った露店で、
なんとなしに買った絵葉書は居間のテーブルに置きっ放しにしてしまっていた。
そのまま日の経つ内に、まずは新聞が重ねられ、そのあとカラフルな雑誌がいくつか重ねられ、
最後の最後にはビールの缶を置いてしまっていた。だがそのビールの缶が幸いした。
「おっと」
さてカウチでごろりとでもするかと、そんなことを考えていたところ、
うっかり手を引っ掛けてしまい、まだ少し残っていたぬるんだビールがこぼれる。
おかげで、その始末の最中、件の絵葉書の存在を思い出した。
ああ、これはしまったぞ、と俺は思った。
サイドボードの上にこちらも置きっ放しにしていた封書を取る。
それはサガからのエアメールで、すっかり返事を書くのを忘れていた。
そういえば絵葉書を買ったその一週間くらい前にこいつが届き、
絵葉書を買った日には「そうだ、返事を書かねば、あとでうるさいぞ」と思い出し、露店に寄ったのだった。
俺は筆不精というほどではないが、サガに比べれば不精であるだろうし、
幾度も取り留めのない手紙の遣り取りをしていると「明日でよいだろう」というほうへ流れてもいく。
だがさすがにそろそろこれではまずかろうと思い、サガからの手紙を読むこともそこそこに、ペンを執った。
なに、絵葉書である。こちらの近況を手短に伝えるくらいなのでよかろう。
とまずは楽観視し、頭の中で文章を起こし、その後「やはり、これではまずいのではないか」と、
サガが「お前の手紙は云々」と言い出す様子を思い浮かべてがりがりと頭を掻く。
それでも適当に見切りをつけて簡潔に近況を書き、日本の住所を写して、玄関へ向かった。
投函は明日でもいいかと一瞬は思ったが、この思考がきっとよくないのだと思いなおして扉を開く。
するとそこに、サガがいた。
扉をいっそ閉めたいとか、手紙を書いて損したとか、投函しなくて良かったとか、
でもやっぱりこのタイミングはちょっとひどいとか、いろんなことが頭を駆け巡ったが、
俺はとりあえず問われる前に手にした絵葉書を速やかにぐしゃりとつぶした。
「どこかへ行くところだったのか」
「うん。日本にいるお前に手紙を出しに」
という会話など気恥ずかしいではないか。
サガはとくに俺のそういった動作については何も言わず、「帰ったぞ」と見れば解るようなことを言って、
中へとずんずん入っていってしまう。
まあサガのうちでもあるのだから、それは当然だろう。
俺はサガに追いついて、居間に入った。
それからサガは荷解きをしたり、部屋着に着替えたり、
突然居間に雑然と広げられていた本や雑誌、カップなどを片付け始めて、
俺の心をちくちく刺してくれたりしたが、漸く気が済んだのかテーブルに俺を呼んだ。
どうやら留守中の聖域について聞きたいらしく、まずはそのことを話し、
俺は日本にいる者たちについてを幾つか訊ねた。
それからは自然とそれぞれ自身のことを話したり、訊ねたりし、
「ああそうだ」とサガは解いた荷の中から封書や葉書の束を取り出した。
見覚えはある。俺がサガに宛てて出したものだからだ。
それらを指してまずは「お前の手紙の書き方は云々」と言われ、
ついでに「どうせ面倒になったのだろう」と最初のうちは封書で送っていたのに、
途中から絵葉書になった経緯を見事に見破られた。
「まさか。日本にいる兄さんにギリシアの風景を見せたかったのだ」
とは言ったが、絵葉書の方が書く量が少なくて済むというのが実のところ。
サガは「そうか」と俺の言をうそとわかりつつ頷いてくれた。
「しかし面倒といえば、そもそも手紙の遣り取りは必要あるまいよ」
と俺は言った。
「俺たちは意識を通じさせる能力があるのだし、電話というものもある。
そちらの方が早いだろう。まったく、この数ヶ月、なんど手紙を遣り取りしたことか」
「確かに、カノン、お前の言うこともわかる。だが手紙は手紙で良いものだ」
サガは俺からの手紙を幾つか並べ、「見ろ」という。
「このときは字が汚い。
きっと時間がなかったのか、焦っていたのか、面倒になっていたのか、そんなところだろう」
ご名答。
時間がなく焦って、仕舞いにはなんでこんな面倒なことをと思いつつガリガリ書いたやつだ。
「しかしこちらは、前回の字を反省したのか、丁寧に綴られている」
またまたご名答。
「どうだ、カノン」
「なにがだ、サガ」
「つまりね、こうして字からもお前が解るのだよ」
「そして、お前は俺からの手紙を読みながら、くっくっくっカノンめ今日は機嫌が悪いな、とか、
ふっふっふっカノンめ今日は私を恐れて丁寧に字を書いてきたなとか、笑っていたのだな」
「そういった笑い方ではなかったがな」
「前々から思っていたのだが、サガよ」
「うん?」
「お前は、その、気恥ずかしい奴だな」
というと、サガは意外と陽気に笑った。
「そうは言うがな、カノン。
お前と私、ふたりで恥ずかしい恥ずかしいともじもじしていたほうが恥ずかしいだろう」
「というか、あほだな」
そこでサガは唐突に立ち上がった。
ぐるりとテーブルを回ってきて、俺の尻を探り出す。
いや待て。それはいくらなんでも唐突過ぎるのではないか。
などと若干俺が慌てている隙に、
サガは俺のポケットから俺がさきほど握りつぶした絵葉書を抜き取ってしまった。
「あ!お前!」
「お前が恥ずかしがって出さないから、私がこうするしかなかろう。
それとも、あの場でカノン今のは…?もしや…?と私も顔を伏せたりなどしたほうが良かったか?」
やめてくれ。それはほんとうにやめてくれ。こんな大男ふたりが玄関先でもじもじしているなど、気味が悪い。
「さて、読んでいいか」とサガが言った。
「読んでもいいが、恥ずかしいので、俺がいなくなってから読め」と返した。
それから俺が小一時間ほど出て帰って来ると、テーブルの上にはどうやってかまっすぐになった絵葉書と、
たぶんその返事なのだろう一通の封書が置かれていた。
こんなことがよく出来る、恥ずかしいやつめと俺は思わず呻いた。
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双子誕2008
生まれた日を特別の日と想い浮かれるほどにはもう幼くも若くもないし、
どちらもそのように思っているからなのかもしれないがうっかり日は経ってしまい、
思い出してからは思い出してしまった限りはなにかを言ったほうがしたほうが良いものかと、
小首を傾げて思案する。
そうしてふと見遣るとあいつも同じようにしていたので、もしやと想ってそのことを口にすると、
「今まさに同じことを訊ねようとしていたところだ」とまで言う。
思わず声を立てて笑って、笑って、それから小さな子どものようにケーキを買いに出かけた。
プレゼントも思いっきり派手にラッピングをしてもらった。
選んだケーキの味も、プレゼントの好みも違ったけれど、
「まだまだ双子のこのキズナは捨てたものではないな」
顔を見合わせやっぱり同時にそう言った。
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28歳ふたり
最初から話半分程度に聞き流していたものだから、
長々と話が続く内、我慢を重ねていたサガもついにいらいらと苛立ってきたのだろう。
「おい。頷くくらいはまともにしろ」
と言われても、話半分程度に聞いていたのでは何処でいったい頷いていいかカノンには分からない。
だいたいサガの話は長すぎるのだと心中で言って、「うー」だの「あー」だの呻くような頷きをしてみる。
ただこれが逆効果だった。
わざわざ向こうのカウチから身を乗り出し、サガがカノンのそっぽを向いた顔に手を伸ばしてきたのだ。
「おいやめろ」
と言いたかったが、むぎゅと頬を押されて「おひやめにょ」になる。
「カノン。こちらを向け」
と言われながら、さらに何度かむぎゅむぎゅとやられる。
カノンはぶるぶると思わず首を振って、サガの手を払った。
「だから、お前、これは28歳にすることじゃないだろう」
「28歳がまともに人の話を聞けんでどうする」
ぐっさりと言われて、ここはいっそ拗ねてしまおうか、カノンはまたそっぽを向いた。
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「なにすんだ」
居間にある最も座り心地の良い長椅子でカノンが昼間を眠って過ごしているものだから、
やれやれ仕方のないことだとタオル地の掛け布をかけてやる。
それからしばらく私は書斎に篭っていたが、
また通りかかりに居間を覗いてみるとタオルケットが落ちていた。
やれやれまったく仕方のないことだともう一度その静かに上下する体に掛けてやり、少しの間外出する。
そうして帰ってきたときにはまたタオルケットは床に落とされていた。
ああまったくもって本当に仕方のない奴だ。
私は三度タオルケットを寝返りを打とうとして背凭れに阻まれて苦しむカノンの体にかけてやる。
そうしてその居間で新聞に目をとしていると、
ふさりとタオルケットはカノンの寝相によって落とされてしまった。
立ち上がり、タオルケットを拾う。それからその額をぴしゃりと叩いてやった。
すると漸く彼は長い眠りから目覚め、きょろきょろと辺りを見回した。それから私を見上げる。
「いたい。なにすんだ」
この弟は、どれだけ仕方のない奴なのだろう。
私はうっかり笑ってしまった。私が言うに言えなかった事を簡単に言ってしまうのだから。
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おにいちゃん
ごとりと汽車が駅に停まった。サガとカノンだけが立つ車両もごとりと揺れる。
すっと席を立つ人。そのまま降りてってぽつんと空席がひとつ。
カノンが「どうする」とサガに目を遣る前から、サガはそのてのひらをカノンにくれていた。
「どうぞ」
なんてしたり顔で笑って言う。
カノンは席に腰を下ろしてサガを見上げた。
「どーも、兄貴」
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