台詞 Brothers 12

E*STYLE
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「人間、出来ることと出来ないことがあるんだって!」


 もうすっかり旅支度を整えたマルチェロが朝食を済ませ、宿の一室に戻ると、

 朝食に行く前に叩き起こしたはずのククールが朝陽が注ぐベッドの中で睡眠を貪っていた。

 すぅっとマルチェロの眸が細る。

 「ククール!」

 容赦なくベッドから引き摺り落とせば、ごちんと軽快な音。漸くククールが身を起こす。

 「いででででで!ったく、朝から何すんだ!」

 「昼にしたら意味がないだろう」

 確かに、とククールは打った頭をさすりながら妙に納得する。

 「まったく、お前はいつもいつもいつもいつもいつも、少し目を離すと寝坊をするのだから」

 「人間、出来ることと出来ないことがあるんだって!」

 「ではお前に出来ることを述べてみよ」

 「えー?呼吸。いや、嘘です。大いなる嘘です。俺がアンタのことを大嫌いって云うくらい嘘です」

 「つまり壮大な嘘ということだな」

 「なにそれ。壮大なのろけ?」

 ククールがそう云った瞬間、早く支度をしろとばかり服が顔に飛んできた。




「腹減った…」


 マルチェロの機嫌は悪かった。半歩遅れて付いて来るククールが二・三時間前からうるさいからだ。

 「腹減った…」

 彼が半歩遅いのは単純に燃料が足りないからだろう、兄を立てる殊勝な弟ではない。

 「腹減った…」

 ククールは朝食をすっかり消化してしまった胃の辺りを押さえ、心底だるそうに口を尖らせる。

 「腹減った…」

 朝食を取った街から次の街へ行く間に魔物に襲われること九回、

 ククールがナンパをすること一回、マルチェロがナンパされること三回、旅程は遅れている。

 「腹減った…」

 ククールがそう呟いて項垂れたので、マルチェロは仕方なく懐からビスケットの包みを取り出した。

 「…アンタ、昔からこういうのを隠し持ってるよな」

 「腹をすかした子どもにやるためにな。見過ごしてはおけんだろう?」

 「今まですごく見過ごされていたような気がします」

 ククールはこれから数日間子ども扱いされることを承知でビスケットを口にした。

 「美味い」と呟けば、早速口許で小馬鹿にしたように「それは良かった」とマルチェロが笑う。




「きっとそれは、花びらが散るように」



 あまり人が分け入ることのない山の懐深く、底の見えない谷を前にして兄弟は立ち止まっていた。

 二人の前には頼りない腐った木の吊橋ひとつ。ククールはある嫌な予感を感じ、じりじりと後退した。

 マルチェロは吊橋の具合を確かめている。少し触れただけで、そこから何かがぼろりと取れた。

 「…ふむ」

 「ふむじゃねえ!アンタ、俺にその橋を渡らせる気だろ!?」

 そう云って逃げようとしたククールの手をマルチェロががしっと掴む。

 「そのへぼな頭でよく考えてみろ、ククール。私の方が体重がある。

 もし私の体重で橋が落ちてしまえば、お前は向こう側に渡ることは出来ないだろう?」

 「尤もらしいことを云ってんじゃねえ!明らかに俺の体重でもこの橋は落ちるから!死ぬって!」

 「きっとそれは、花びらが散るように」

 「きれいな言葉で飾っても死は死だろうが!
ここは公平に一緒に渡ろう!死ぬ時は一緒だ!」

 「誰がお前なんぞと心中するか!ええい、どさくさに紛れてくっつくな!」

 とマルチェロがククールを突き放した瞬間、ククールは腐った吊橋に強制的第一歩。

 「ぎゃぁぁぁぁぁぁ」と思わず叫んだククールの足許から崩れる吊橋。

 舌打ち一つ、マルチェロは橋が落ちる前にククールをなんとか引き戻す。




「行って、振り返らないで」


 「行って、振り返らないで」

 ククールはマルチェロの背を強く押し、賑わう街の角を曲がった。

 路地裏に身を隠したマルチェロは隣で大通りを確認している弟を不審げに見下ろす。

 「教会関係者か?」

 「いや…」

 ククールは首を振った。商店の壁に背を預ける。

 「むかぁし俺が手を出した人妻がいた」

 瞬間、マルチェロがククールの頭をがつん!

 蹲るククール。「くだらん」と言い放ち、路地から抜け出るマルチェロ。

 ククールは頭を撫でながら、ちぇとばかり口を尖らせた。

 「やきもちの妬き方が可愛くねえんだよ、まったく」

 瞬間、つかつかと戻ってきたマルチェロの足がククールを問答無用で蹴り飛ばす。




「…臆病なだけだ」


 マルチェロには気になっていることがある。

 外套を羽織った背に触れるような触れないような、そんなククールの手のことだ。

 賑わう街の中ならばまだ分かる。それは理解するに不足のない理由。

 だが今二人が歩くのは賑わう街の中でも、迷いの森の中でもない。

 人気のない寂れた街道で、弟はまるではぐれることを怖れるように手をマルチェロヘと伸ばしている。

 ただ掴もうとはしないところが意地なのか、虚勢なのか、ククールらしいところ。

 「…臆病なだけだ」とククールが自嘲めいて云った。

 「はぐれちまったらもう二度と会えないような気がする。

 ペシミストだからね、何処かでそう思ってしまうのさ。アンタと離れること、怖がっちゃいけない?」

 マルチェロは街道の先に人影が見えたときには手を引っ込めるよう注意した。




「どーしてそう、自分から騒動に首突っ込むかなぁ」


 「どーしてそう、自分から騒動に首突っ込むかなぁ」

 颯爽と歩く兄から二・三歩遅れてのろのろ歩くククールは青空にぼやいた。

 路はこの周辺を治める領主の館へと続いている。

 マルチェロの懐には聖堂騎士団に属していた頃より懇意にしている領主の長男からの書簡があった。

 マルチェロがククールを微かに振り返る。機嫌が良いのだろう。

 「いずれ領主になる者に近付いておくのも悪くはあるまい?」

 ふん、とククールは鼻で笑った。

 「いずれ領主に‘する’の間違いなんじゃねーの?」

 「さて。少なくとも彼は領主に‘してもらった’ではなく、‘なった’と思うだろうがね」

 「ほんと悪い人だな、アンタって人は」

 ククールは思わず笑ってしまう。

 空は本当に青かった。

 「だいたいさぁ、愛人との間に出来た長男と正妻との間に出来た次男の跡継ぎ争いなんて、よくある話だ。

 他人がどうこう云わなくとも、その内なんとかなるもんさ」




「ふっ、聞きたいか?」


 何処かの腹黒貴族子飼いの情報屋がいつまで経っても俺たちが欲しい情報を吐かないので、

 余裕振るのが得意だが、本来気の短い兄貴がついに小柄な情報屋の襟首を掴み、

 廃屋へと引き摺り込んで行ってしまった。

 「女神さま、どうかご加護を」と俺は適当に手を組んで、その扉を塞ぐように凭れ掛かる。

 俺たちって実は抜群のブラザーネーションなんじゃねえの?

 ブラザーネーション、これ造語。

 それから十分くらい経っただろうか、扉を開けようとする気配に俺は身を引いた。

 廃屋の暗がりから出てきたのは闇色の外套を纏うマルチェロのみ。

 「聞き出せたのかよ?」

 俺は問いながらも、もう歩き出す。

 マルチェロが俺の行動を咎めなかったことから、情報を聞き出すことには成功したのだろう。

 「いったい元騎士団長殿はどんな手を使ったんですかねえ?」

 隣に並ぶマルチェロの顔を窺いつつ、口端を上げると同じような顔で返された。

 「ふっ、聞きたいか?」

 「まさか。とんでもございませーん」

 そういうのはこれからもアンタの領分でよろしく!




「ヤベ、自分で自分に鳥肌が立った…っ」


 マルチェロに襲い掛かろうとした魔物をざんっと斬り伏せて、ククールは剣に付着した血を払った。

 「聖堂騎士団は辞しちまったけど」

 マルチェロを振り返る。

 「俺はアンタだけの騎士になるぜ」

 薄青い眸をすいと細めて微笑する。

 しかしそれも束の間のこと。ククールは口許をいつものように上げて、得意げにふふんと笑った。

 「ヤベ、自分で自分に鳥肌が立った…っ」

 そんなククールの背後に忍び寄る魔物を斬り伏せてマルチェロ、

 「私も鳥肌がたったぞ」

 「え。マジで?」

 ククールが問うと、マルチェロはひゅんと音を鳴らして剣に付着した血を払った。

 「あまりの気色悪さにな」

 がっくりククール!




「褒め言葉と受け取っておこう」


 街道の三叉路。

 ひとつは二人がここまで歩んできた道  ひとつはマルチェロが見据える道。

 そしてもうひとつはククールが行きたい道。

 「ならばお前はお前の行きたい道を行くが良い」

 マルチェロが云うとククールはわざとらしく瞠目して見せた。

 「へええ。アンタがそんなにも寛大な人だったとはね」

 そうしてマルチェロと道を分かって三十メートル、ククールがちらりちらりと兄に目を遣れば、

 彼は振り返らずに、こちらを気にする様子もなく、ククールとは異なる道を真っ直ぐに歩いている。

 「……」

 ふらりふらり、じわりじわり、ゆっくりゆっくり軌道修正。

 「なんだ。結局付いて来たかったのか」

 マルチェロが背後に現れた気配に振り返ってやると、ククールは唇をきゅっと結んだ。

 「ずりぃんだよ、アンタは」

 「褒め言葉と受け取っておこう」

 今振り返ったのもわざとだろうとご機嫌を取られてしまったククールの不満は絶えない。




「いまさら遅いって」


 どう、という耳障りな音と共にすぐ隣に立っていたはずのククールは魔物に腹を薙がれ吹き飛ばされていた。

 おやおや、

 「楽勝楽勝」だの「この程度を相手すんの、だりい」だの言っていたのは、

 どこのだれだったかな、などと思う。

 彼は折角身につけた力というものを、その生来の性格(怠けるという一言に尽きる)が祟り、

 失ってしまったようだった。

 地面を無様に転がった彼は木の根元にぶつかり、どうやら止まったらしい。

 悪態をぼそぼそついているところを見ると生きてもいるのだろう。

 やれやれ、相変わらず仕方のない奴だ。とは心中の呟きとし、魔物と向かい合う。

 事はすぐに済んだ。二・三撃で仕留める。

 するとどうやら今のでレベルが上がったらしい。ステータスを確認し、スキルポイントを振り分ける。

 次いで魔物が落としていったアイテムを拾い上げ、

 錬金に関する書を思い出しながら、このまま使用するか錬金をして使用するか、売り捌くか、

 そのようなことを考えている内に、ああそういえば、と思い出した。

 「ククール」

 地面に横たわりぐったりとはしているが、半分以上はまた拗ねてでもいるのだろう。

 大丈夫かという意で声をかけると、ククールは恨み顔で私を見上げてきた。

 「いまさら遅いって」




「あなたが、傷つくことなんて、ひとつもない」


 よくある話、というほどにそこここに転がっているわけでもないが、

 まったくないというには何処かで聞いたようなあったような話。

 頭の軽い父親が後先考えずにちょっと見目好い使用人に手を出して、その女が子を孕む。

 ほんと何処かで聞いたようなあったような話だ。

 ククールは崩れかけた教会の告解室の前にずるずると座り込む。

 「ああそれでもどうか告解を!」

 僧侶崩れ、騎士崩れ、ついでに勇者崩れだと何度言っても聞き入れなかった華奢な少女は、

 さる貴族のご令嬢、正妻の娘らしい。

 彼女は告解室で義理の娘に辛く当たる母親を止められない無力さに嘆き苦しみ泣き崩れている。

 「やさしいお嬢さん」

 外でこうして待つククールにはマルチェロのそういう言葉だけが伝わった。染み入った。

 「あなたが、傷つくことなんて、ひとつもない」

 目尻が不意に熱く盛り上がりそうになるので、ククールは左の手で顔を覆った。




「よろしい」


 「疲れた、は一日五回までにします。休みたい、も一日五回までにします。

 歩きたくない、は一日一回しか言いません。ふざけて、おんぶー、はもう二度と言いません。

 腹減った、は昼前とおやつ時と夕飯のタイミングでしか言いません。

 だらだら歩きません。アンタをいちいち立ち止まらせるくらい遅れたりしません。

 美人を見つけてもナンパしません。特に人妻はナンパしません。

 いや、でも、年上の包容力っていうのが好きなんだよなあ。

 …続き言うって。えー、そうそう、モンスターとの戦闘中に手抜きしません。おれも頑張ります。

 でもアンタの邪魔はしません。端っこのほうで弱そうな奴を倒しておきます。

 夜は早く寝ます。夜更かししません。酒と賭場はほどほどにします。

 朝寝坊は厳禁です。もしおれが朝寝坊し、アンタに置いていかれても恨みません。恨むけど。

 こんなもんででいいですか。つーかやっぱり明日も復唱するの、これ?」

 「お前は私について来たいのだろう」

 「…ついて行きたいです」

 「よろしい」

 というところまで遣り取りしないと気が済まないんだから、全く仕方のない人!





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