片思い Brothers 15

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伏せた目


 俺には眸を伏せる癖がある。

 それは兄と話をしているときに、否、一方的に詰られているときに顕著だ。

 マルチェロ団長と話をしているときは真正面から見返してやれるのにね。

 ともかく俺には眸を伏せる癖がある。

 故、俺の世界は狭い。俺の世界は窮屈だ。俺には身長ほどの世界しかないのだ。

 そこには兄の顔すらない、見えない。俺の存在故に苦しみ歪む彼の顔など見たくない。

 だからまた深く眸を伏せる。




せめてもの言葉を


 背の高い騎士団長が背筋を伸ばして行く聖なる回廊には女神像が並ぶ。

 ククールはその最初の女神像を見上げて問うた。

 「女神さま。何故あなたはただ微笑むだけなのですか?」

 青は聖なる回廊より既に遠く。




暖かすぎる空間



 静寂の王が支配する夜更けにククールが喘いでひとつ。

 「あ…」

 向かい合った兄の膝の上で苦しい息を堪え切れずふたつ。

 「あ…あ…」

 肌を合わせながら官能の接吻けをみっつ。

 「あ…あ…あ…」

 二人で成す空間だけ、熱を孕む。




身近なせいで


 眼と眼が合う。

 逸らすことを嫌う眼と逸らすことを怖れる眼が、翠は青を、青は翠を写し取る。

 「なんだ」

 問われて、やがて先に眼を逸らしたのはククールのほう。

 「いいえ、なんでもありません」

 けれどもしもこのまま見つめていたら、永く、永遠に、彼と見つめあっていられるのだろうか。

 そんな想いは眸と共に伏せられる。




近すぎる距離


 マルチェロには容易に人に踏み入らせない距離がある。心にも、体にも、距離がある。

 ククールは神さまの手も届かない修道院の地下深く、

 土壁に背を押し付けられるようにしてマルチェロと抱き合っていた。

 宙に吐く荒い息さえ、地下の重い空気に溶けていく。

 「アンタ、俺のこと、少し信じ過ぎじゃねえの?」

 やさしいとは云えない兄故に、

 放り出されてしまわないようにと兄の首に絡めていた腕をその背を辿りながら下へ、下へ。

 やがて指先に触れたのは彼が隠し持っている短剣だった。それは死を与える刃。

 けれどククールの指は間もなく剣から離れる。

 そうして兄の背に再び両腕を回して縋った。

 「俺は誰よりもアンタの心に、体に近いのかもしれない」




枕を濡らす


 夢は不自由だとククールは思う。

 暗い天井、迫る壁、硬い寝台、薄いシーツ、耳障りな騎士たちのいびき。

 夢だけはたぶんどうしようもない。

 眠り足りないときにそうするように、両眼を左手の親指と人差し指でぎゅっと押す。

 高名な学者曰く、“夢とは記憶に残されたシーンを回想するものである”

 「誰も見ちゃいねえのに、俺も不便な奴だよな」

 二本の指を僅かに濡らす雫は自嘲するククールによってすぐに握り潰された。




オルゴールが響く時


 燃料をください。

 「私が暫く修道院を空けている間、お前はまた朝果も騎士としての責務も果たさなかったと聞いたが、

 何か申し開きたいことがあれば、この場で聞こう」

 螺子を巻いてください。

 「いいえ、団長殿。言い訳なんてひとつもありません」

 燃料をください。

 「朝のお祈りの時間は寝ていました。剣技を磨くための時間はポーカーに耽っていました」

 螺子を巻いてください。

 「団長殿が仰る通り、俺は不出来な人間なんで、燃料がなけりゃ動けないんです。

 螺子ももう緩んできちまって、残りの力なんてあと僅かだ」

 燃料をください。

 螺子を巻いてください。

 「なあ、マルチェロ、団長殿」

 また明日も生き長らえるように。




破られたラブレター


 「マルチェロ」と兄を求める声は音となり、1秒間に340メートルを進む。

 だが彼はそれ以上の速さでククールより離れる。遠ざかってゆく。

 彼を呼ぶ音よりも眩しい光を求めて。

 「マルチェロ」

 やがて失速し、落ちたそれをククールは自ら隠すようにして踏みつけた。




あなたが好きだから


 「何を話していた」

 回廊の途中、二つ目の柱に背を預けていた騎士団長の問いにククールは歩みを緩めた。

 「団長殿のお耳に入れるほどのことじゃありませんよ」

 背後はまだ少し騒がしい。

 先程までククールを引き止めていた騎士数人の声が遠ざかるのを確かめる。

 やがて扉と共に彼らの声が修道院内に閉ざされるとククールは足を止めた。

 騎士団長は変わらず背を柱に預け、答えの先を促している様子だった。仕方なく答える。

 「あいつらの派閥に入らないか、と云われただけです」

 「連中もくだらんな。お前を引き入れて何になるというのだ」

 「さあ?団長殿を苛立たせることくらいしか出来ませんからねえ、俺」

 ククールは肩を竦める。

 マルチェロは漸く背を柱から離した。

 「それで?どうするつもりだ」

 「もちろん、断りましたよ。もうすぐ消える奴らに与するほど俺もお人好しじゃない」

 そして、なによりも、

 「あんたが好きだから」




淡いパステルカラー


 思い出とは時を経るにつれ、都合良く改変されていくものなのだと俺は改めて思ったね。

 「ってぇな」

 側頭部を地下室の土壁にぶつけ、正確にはぞんざいな扱いを受けて放り出された結果、ぶつけ、

 ぐわんぐわんと回る頭を乗っけた身体はそのままずるずると壁伝いに落ちていく。

 「俺、取り得は顔といかさまだけらしいんだから、もうちょっと大切に扱って下さいよ」

 するとマルチェロは云った。

 「ぶつけたのは頭だろう?

 それともお前は賭け事と女にしか興味のないその頭にも価値があると思っているのかね?」

 その翠の眸は深く暗く獰猛さを隠す。

 これが現実。これが今。これが俺たちの現状だ。受け入れろ。抗うな。

 頭をぶつけた一瞬に見たパステルカラーのやさしい翠の眸を持つマルチェロは、

 俺の都合の良いように書き換えられた思い出なのかもしれないなと俺は苦く笑って諦める。




濃い夕闇


 人は光を失うときがある。

 陽が落ち、月が現われない、そのような夕闇に人は光を失うときがある。

 「団長殿?」

 剣の鍛錬中、私が突付けた刃の先でククールが戸惑うような視線を投げ掛けていた。

 「団長殿…?」

 陽が沈み、月が昇らぬ夕闇の世界では彼の見事な銀糸の髪も光を失うのだろう。

 「このときが永遠に続けば良いと、時折私もお前に思うのだよ」

 陽が落ち沈むことを知らせる鐘の音が世界に響く。




十二時過ぎのシンデレラ


 堅苦しい騎士服を脱ぎ捨て、粗末なベッドに潜り込もうとした深夜、部屋の扉がノックされた。

 他の騎士たちは既に就寝しており、仕方なく上着を寝台に投げてククールが扉を開ける。

 伝言を伝えに来た騎士はククールを探していたようだった。

 「マルチェロさまがお呼びだ」

 その名を聞いてククールはまともに眉根を寄せた。

 「もう就寝の時間だぜ?

 俺、そのマルチェロさまにきつぅく修道院の時間を厳守するよう注意されてるんだけど」

 「俺が知るか。どうせまた何かしたんだろ。とにかく早く行けよ」

 「はいはい、わかりましたよ」

 ククールは肩を竦め、部屋の中へ踵を返す。

 そして先程投げた騎士服に袖を通そうとすると、騎士は首を傾げた。

 「べつにそのままでもいいんじゃないか?」

 だがククールは騎士服を纏い、一つ一つ丁寧に金具を留めた。

 「お前らはそうかもしれねえけど、俺はそれじゃダメなんだよ」

 騎士服を纏っていないククールは必要とされない。

 だから今夜もこう云うのだ、

 「聖堂騎士団ククール、お召しにより参上しました」




許しきれない



 不意に何故ここに留まるとマルチェロが問うたので、ククールは肩を竦めた。

 「それは団長殿が一番良くご存知なんじゃないですか?」

 打たれて腫れた頬を拭う。

 「本当はアンタだって分かってるんだろう?

 こんな風に俺を殴って、跪かせて、支配したって、何にもなりゃしない。

 こんなことをしててもアンタ、ちっとも幸せそうじゃないよ。

 どうして分かる?って顔すんなよ。何年ここで、こうして、アンタと向かい合って来たと思ってんだ。

 アンタだって分かってるんだ、きっと、本当は、俺なんか殴ってても仕方ないって」

 でも止められないんだとククールは口の中に溜まった血を床に吐いた。

 「それと同じさ。俺だって分かってる。

 ここに留まっていたって、アンタに殴られて、跪かされて、支配されたって、何にもならない。

 こんなことしてても俺はちっとも幸せじゃない。だけど、分かるだろう?」

 どうしても抑え切れない想いだけが行き交う。




分かってくれない


 キスをして欲しいと望んだというのに、兄はそれを無碍にした。

 ククールの頭を煩わしそうに執務机に押さえつけて、ただただ行為に耽る。

 「愛がないね」

 ククールは乱された騎士服を調えながら、マルチェロを見遣った。眸だけをついと動かす。

 「こういうのって、愛し合いながらした方が気持ち良いと思いますよ」

 するとマルチェロは「ほう」と愉快げに眉を跳ねた。

 「お前にはそういう経験が?」

 「…まさか」

 ククールは肩を竦める。

 「俺の愛する人は、キスひとつしてくれない、そんな愛のない人なんです」




一番の想い


 ふたりきりになると、彼は急に拳で修道院の湿った石壁を打った。

 苛立たしげに、ただ一度だけ、手を痛めてしまうくらい強く、打った。

 彼が選んだ世界は出生の枷を負って生きるにはあまりに過酷な世界だ。

 「たった一言、アンタにどうしても云いたい言葉があるんだ」

 俺は彼が再び背を伸ばした頃、云った。

 「でも、云わない」

 たった一言、「ごめんな」と云えたなら、俺はどんなにか楽になるだろう。救われるだろう。

 「だけど、絶対に云わない」

 たった一人の兄を、マルチェロを、兄貴を残して、救われる世界なんて要らない。





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