君に贈る動揺 Brothers 7

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報われずとも幸せですか


 「報われずともお前は幸せなのか」

 大聖堂の下、ククールが私に祈るので、私はそのようなことを彼に問うた。

 ククールはふと苦く笑う。

 「この想いは報われないことが前提なんですね」

 幸せではないよと彼は云った。

 「けれどこんな想いさえ持たず、持てず、生きることの方がもっと辛い」

 彼は私に寂しくはないかと問うた。

 そしてやがて答えぬ私の背に彼は顔を埋めて黙するのだ。とても寂しげに。




知らないふりを続けられますか


 ククールはひとり。宿舎の厨房で野菜の皮を剥いていた。

 夜はもう遅い。手元を照らすのは蝋燭の僅かな灯りだけ。

 そこへ小さな影ひとつ。

 「今度はいったい何をやらかしたのかの」

 オディロ院長は新たな灯りを樽の上に置いた。野菜の詰まった樽の上。

 「ここの生活は健全な十代の俺には窮屈なんでね」

 ククールは手を休めずに答える。

 野菜はまだある。たくさんある。朝から剥いても剥いても終わらない。

 修道士たちには声を顰めらた。騎士たちには指を差して笑われた。

 「でも俺、そういうの慣れてるから」

 「それにさ」と続ける。皮剥きも続ける。騎士見習いの頃から比べて随分と上手になった。

 「俺は野菜と同じ。面の皮が厚いんだ。だからいくら笑われても平気」

 そう云うククールの手を止める者があった。皺のある手。老院長の手。

 老院長は厳かに云う。

 「ククールや。何故人は存在しない神を求めるか、分かるかの」

 問われてククールは「いいえ」と答えた。

 するとオディロ院長は顔を綻ばす。

 「神さまの前で哀しみ、嘆き、怒り、憤り、そして祈る言葉は、

 それがたとえどのようなものであっても、神さまは誰にも云ったりしないからじゃよ」

 これを終えたなら神さまの前へ行きなさいと老院長は云った。

 「こんな夜中に?」

 ククールは少し眉を顰めたが、オディロ院長は灯りをククールの元へと寄せる。

 「夜更けだとしても、どのような闇の中にいようとも、神さまは全ての人を待っていて下さる」




すべてをさらけ出せますか



 ククールは蹲っていた。

 森から修道院へ渡る石の橋の袂、ククールは夜に揺れる炎から身を隠すように蹲っていた。

 外傷はない。

 そもドニの酒場からこの修道院へ至る道のりに出没する魔物程度にやられるほど弱くはない。

 何処かで何かを少しだけ間違って、珍しく体がアセトアルデヒドに負けているだけ。

 ただいったい何処で何を少しだけ間違ってしまったのかはわからなかった。

 故、ククールは蹲る。独り蹲る。

 胸の苦しさを堪えながら、夜に独り、灯りからさえも身を隠し、蹲っていた。

 だから夜に現われないで欲しい。

 「またお前か」

 灯りもない真っ暗な闇から見つけ出さないで欲しい。

 「仕方のない奴だな、本当に」

 現われてしまったら、見つけ出されてしまったら、一度でもその声に言葉に触れてしまったら、

 夜が怖くなってしまう、独りが寂しくなってしまう、灯りが欲しいと隠していた心が染み出してしまう。

 「胸が苦しいです、団長殿」

 染み出した心は、けれど彼の心に染み入らない。

 ククールは苦しい胸を隠すように三度蹲る。




甘い憧憬を棄てられますか


 真昼の道を行くのは家族だった。

 農具を肩に担いだ父親、隣を歩く母親、

 父親の真似をして農具を肩に担ぐ少年、母親にしきりに話しかける小さな男の子。

 その服装から彼らは決して豊かではないだろう、貧しい家族。

 けれどやさしさとしあわせに溢れた豊かな家族だった。少なくともククールにはそのように見受けられた。

 故、ククールは擦れ違い様に彼らに道を譲った。

 「ありがとうございます」

 親しげに頭を下げる父親。母親はにこやかにククールに会釈をする。

 続けて少年はいかにも利口げに、小さな男の子は少年の後ろに隠れて頭をぺこりと下げた。

 そうして彼らは再びやさしげにしあわせそうに道を行く。

 ククールが振り返らずに歩いてきた道を行く。

 ククールはわざと崩して着ていた赤のケープがいつの間にか胸に落ちていることに気付いた。

 左手でそれを鮮やかに翻す。

 振り返りはしない。

 空の青に赤が映えた。




どうして断定を避けるのですか


 「さあね」

 「うーん?」

 「そうだなあ」

 「あんたはどう思う?」

 「どうだろ」

 「俺、知らね」

 「そういうこともあるかもな」

 「いやなわけじゃねえんだけどさ」

 「俺に訊くなよ」

 「いつかはいつかだろ」

 「あんたがそうしたいんなら、そうすればいいんじゃないの」

 「嘘は吐いてないぜ」

 「また今度な」

 「それはなんとも」

 「神の御心のままにってやつ」

 「俺の気持ち?当ててみな」




抑制されたそれは 果たして感情と呼べるものですか


 長く続いたククールへの辛辣な言葉を不意に止めたマルチェロは、

 それを黙って聞いていたククールの顎を掴んで上げた。

 「お前は本当に私の話を聞いているのか」

 ククールは僅かに息を吸う。声を出すには僅かに肺に酸素が足りなかったからだ。

 「はい、団長殿」

 抑揚のないそれ。

 感情が失せてしまったかのような声、眸、唇、そして言葉。

 マルチェロは酷く苛立って彼の頬を強く打った。ククールは唾を尋問室の土床に吐く。

 そして云った。

 「兄貴、と」

 その声に、眸に、唇に、そして言葉にククールが蘇る。

 しかしそれも僅か、一瞬のこと。

 彼はまた魂のない人形のような硬質の声で、眸で、唇で、そして言葉で呟く。

 「呼んではいけないのでしょう、団長殿」




本当に答えはひとつですか


 至高の神、至善の神、至良の神よ。

 我が生、我が死、我が源、我が母よ。

 正しき女神よ。

 どうかあなたから離れるあの人をお許しください。

 どうかあなたから去るあの人をお許しください。

 あなたを護る剣をあなたのいない新たな道を開く為に振るうことを、どうかお許しください。

 「俺はあなたのいない世界の正しさを信じるあの人の正しさを信じたい」





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