ハンドルはその手の中に
好きなときに、好きなところへ、行きたいように行ける。俺を引き止める人はいない。
望めば何処へだって、今すぐに旅立てる。大した荷物なんて、ひとつもないのさ、あのころから。
路銀もいくらかある、履き慣れた靴もある。
あとは心ひとつ、歌ひとつ。
けれど俺は旅立つ準備を万全整えて、この10年「明日こそは」を繰り返し、生きてきた。
俺を引き止める人はいないが、俺の心は彼の剣に射抜かれ、歌は彼の海に沈んだまま。
今日も安酒においの俺を、騎士を率いたマルチェロが追い越してゆく。
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アクセルはその足下
私が求めるのは一条の光である。
そのためならば、この足許に累々と死屍を横たえよう。
私が欲するのは、ただ一条の光である。
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シートベルトを忘れずに
兄貴は俺のことが嫌いなので俺が兄貴の気に入らないことをすると、殴ってくるし、蹴ってくる。
容赦なく顔面を狙われ、頬を思いっきりぶたれて、背を壁や床に打ちつけたことも何度か。いや、何度も。
けれど団長殿は俺のことが嫌いだけれども必要なので、 俺を殴って蹴った後には必ず傷を癒してくれた。
魔法って便利だね。
傷は治っても、俺が痛いと感じたことまでは消せないんだけどね。
今日も兄貴にぶん殴られて、口の中を切った。痛い。
でも明日俺はお出掛けなので、怪我したままじゃ体裁が悪い。
団長殿の手が蹲る俺に伸びてくる。
癒しの光が指先に灯る、その前に、俺はその手をとって接吻けた。
マルチェロの舌が俺の傷に触れる。
嗚呼、痛い。そんなことを思った。
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左手でギアチェンジ
時折思う、いっそ撥ね付けてしまえば良いのにと。
ククールの頬に掌で触れ、ククールの輪郭を指で撫でる。
そうしてククールの耳の裏を指先で擽って、ククールの頚動脈をゆるやかに締め上げた。
ククールの手は私の手首を掴み、ククールの眸は伏せられる。
そうしてククールの僅かな抵抗は消えて行き、ククールの私の手首を掴む指はまるでその先を望むよう。
時折思う、いっそ撥ね付けてしまえば良いのにと。
手を指を離せないのは私か、お前か。
先を望んでいるのはお前か、私か。
蝋燭がどろりと溶ける。
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そして性格豹変
まだ俺がイタイケナ12・13歳の頃のこと。俺の背を押すマルチェロの手を覚えている。
俺は上等な紅の絨毯ばかりを眺めていたから、彼がどんな顔をしていたかは知らないが、
奴にしては穏やか過ぎるほど穏やかで、甘い果実からとろけだす果汁のような声音で、
「この者は私の弟なのですよ、伯爵」
そんなことを云っていた。
はん、伯爵殿もまぬけなこった。
聖堂騎士団・団長の弟を差し出されたからって、アンタ何も信頼されてないんだよ。
悪いけど、この兄にとって俺なんか人質の価値もない。騙されて可哀想だね。
俺の背をマルチェロの手が押す。
「ククール」と兄なのに兄の振りをして押す。
やがて伯爵の手に渡った俺は、そこではじめてマルチェロを振り返った。
齧った果実は甘くない。よくあることだ。俺は俺を笑い飛ばせれるほどには強いのさ。
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急ブレーキは危険です
突き放してやればどうなるか、それも唐突に。
縋ってきたものを奪ってやればどうなるか、今すぐに。
「ククール」
「はい」
「ククール」
「はい」
「ククール」
「はい、何でしょう、騎士団長殿」
いいや、まだだ、まだ縋らせておけば良い。
「続けろ」
「はい」
ククールの腰が私の腹の上で揺れる。
まだだ、まだ突き放すには時期尚早、今奪っても傷は浅い。
お前には私よりも深い傷を抉ってやらねば気が済まぬ。
「ククール」
「はい」
「ククール」
「はい」
「ククール」
「はい」
「ククール」
「はい、何でしょう、騎士団長殿」
私に縋るお前の声だけ心地良い。
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短気は事故のもと
マルチェロとはトランプゲームをしているようなものだ。ルールもないトランプゲーム。
ふたりの手持ちのカードにゃジョーカーカードが溢れていた。
どうすれば勝ちなのか、どうなれば負けなのかも分らない。
それでも俺たちはもう十年くらい、ずっとカードゲームを続けている。
マルチェロが当たり障りない数字カードを二枚捨てる。俺はそれを拾って、自分の手元に差し入れる。
そうして俺がハートのエースをマルチェロに差し出すと、踏みつけられてカードはぐしゃり。
俺はただそれを眺めるだけ。
その間にもマルチェロは俺のカードからキングを引き抜く。俺はまたただそれを見つめるだけ。
キングもクイーンもジャックも、エースも、太刀打ちできないジョーカーカードは俺の手元にだってあるんだ。
マルチェロの手元にも。
使わないように、使えないように、勝敗が永遠につかないように、しているのは俺と彼。
気の長い話。
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左右確認、邪魔者確認されず
足音が聞こえる。私と同じ歩幅で歩く音。
私が立ち止まれば足音は止み、私が再び歩き始めれば足音も再び聞こえ出す。
右には切り立った崖。左には聳える礼拝堂の白い壁。続く道は闇の森へと繋がっている。
私は云った。
「いつまで付いて来るつもりだ」
答えはない。
ただ足音は止まない。
嗚呼、私は怖れているのだ。
いつかのごとくあの足音に踏みにじられることを。いつかこの足音が絶えてしまうことを。
足音が聞こえる。
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突っ切れ!
「あのね、あのなあ、あのですね。
今更俺に何を云えって云うのさ。何をどうしろって云うんだよ。
思っていることを伝えてみろって?ダメダメ、あの人と俺じゃあ言語が違うんだよ。
俺が何を云っても、あの人には理解できないんだよ。仕方ないね。俺の言葉なんてそんなもん。
手を差し出してみろって?ダメダメ、あのね、あのなあ、あのですね。
一度あの人の首を絞めたこの俺の手を差し出してどうなるの。
別に締めたくて締めたわけじゃないけどね。
あの人の幸せを踏みにじりたくて生まれてきたわけでもないんだけどね。
残ったのはそういう結果なんだから仕方ないね。俺の存在ってあの人にとっちゃそんなもん。
そこを乗り越えてみろって?ダメだよ、できない。
嫌がられるのがイヤ。怖いもん。まあ自分可愛さってやつさ。俺、最低。
そんなことあの人に云われなくても知っている」
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スピード狂はSのはじまり
「そうだよ、アンタは間違っちゃいない。
アンタの云うことが間違っちゃいないことは、俺が一番良く分ってる。
でもアンタがしようとしていることは何だ。
卑怯者がのさばる世界を変えようとして剣を取ったアンタがしていることは何だ。
世界を変えるため、アンタはあろうことか救いを求める小さな子供の手を振り払い、
卑怯者たちに加担しているじゃないか。
アンタが一番嫌っていた卑怯者に、アンタ自身がなろうとしている。
兄貴、そっちに行っちゃダメだ。そっちに行ったら、もう帰っては来れない。兄貴、兄貴、兄貴!」
それでも私はひたすらに進む。
振り返らず、立ち止らず、剣を振るい、口を閉ざして歩み続ける。
斬り捨てた小さな子供に僅かの心を残しながら。
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