まつげ
くらりくらり揺らめく暖炉の炎は青いヴェールのその向こう。
そんな僅かな明かりより、目を閉じたククールには圧し掛かる影が瞼を通して感じられる。
容を辿るその手、顎を捉えるその指、くちびるに痛みはその爪のせい。
炎がまたひとつ弾けて、頬には彼の睫。
その意外にも長い睫がククールの頬を擽ったから、彼が眸を伏せたのだと解った。
「あ…」
ククールは身じろぐ。
マルチェロはその肌蹴られた首筋にくちびるを伝わせる。
炎がくらりくらり揺らめく。
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唇
地方貴族の屋敷裏。月の光に浮かび上がるはこの屋敷の一人娘。
十代後半の、少女から大人の女性へと花開き始めた年頃の線の細い美しい娘だった。
少女はいつもは雪のように白いのだろう頬を赤らめて、自らの手を何処か熱に浮かされたように見つめる。
そうして少しの迷いを経た後、少女は薄桃色の紅を引いた唇をその手の甲に落とした。
***
その様子を未だ夜会の喧騒止まぬ大広間のバルコニーから眺めていたククールは、
自らの胸を不意に掻き毟りたくなる衝動に駆られた。
知っているのだ、あの娘のあの白く細い手の甲にあの人が接吻けを落としていたことも、
あの娘が少女らしい恋心をあの人に寄せていることも、
あの人がそれを知っていて、尚あの手に接吻けたことも、知っているのだ。
舌打ちは一度きり。呼吸を整え、動悸を抑え、
「アンタの方が俺より性質の悪いたらしだよな」と背後の人物に皮肉を込めた。
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舌
人差し指と中指で彼の中を暴くたびに、
海中から引きずり出された魚のようにその肢体を跳ねさせ、
呼吸を荒くする身体に体重を掛け、その苦痛と快楽に歪む顔を覗き込む。
銀糸は乱れに乱れて肌を飾り、
最初はこちらを睨むようだった薄青も今や僅かに涙を滲ませ、時折それを隠すように眸を伏せる。
中は熱く蠢き、それに逆らい何度も擦ればククールは大きく啼いた。
魚が鰓をひくつかせるように、痙攣する喉元。
結ぶことを忘れた口唇からは絶え間なくあられもない声、赤い舌。
「あ…あ…あ…」
それは咥内を這うだけでは満足できないのか、ついに這い出しうねり出す。
それに合わせて指を更に奥へと押し進めれば、「ああ…っ」
与えられないものの代わりに自らのくちびるを舐めてやり過ごそうとしても、
それでは足りないだろう、「ククール」
物欲しげに私へと差し出された、ひくつく舌に我知らず笑みが漏れた。
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首筋
前々から気に入らなかった、あのあいつ。
ズルイんだ、四六時中あの人の傍を離れないで、俺との密会にまで付いて来る、あのあいつ。
嫌になるね、とっても目障りで。
だから目の前で、俺の上で動いているその逞しい体に浮き出した鎖骨に指をそっと滑らせ、
息を吸って吐くたびに蠢く喉仏を撫でながら、マルチェロの首筋を指で辿る。
そのまま両手で包み込むように顎を捉えれば、引き寄せて接吻けを。
接吻けの、その隙に、俺は彼の胸元を飾る首飾りの鎖を解いてやった。
するりと俺の身体へ落ちてくる金の首飾り。冷たくて、声が漏れた。
接吻けをしていたマルチェロの眉根が不快げに寄る。
「手癖の悪い奴め」
俺はそれを微笑で無視して、何もなくなった鍛え上げられた彼の胸に手を這わした。
「嗚呼…」
たまらない。俺だけのマルチェロだ。
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鎖骨
赤い上着が床に落ちる。白いシャツの釦はみるみる内に解かれてしまう。
素肌に這わされたのは、剣を握るからだろうか、皮の厚い手。
それは左胸から鎖骨を辿り、やがて左肩口のシャツを取り払った。
そして鎖骨へとマルチェロのくちびるがゆるりと落ちてきたので、
ククールは彼が存分に赤を付けやすいように顎を上げる。
熱い吐息が漏れたのは、喉を反らした故なのか、それともマルチェロのくちびるに感じたせいなのか。
どっちでもかまわない。
ククールはマルチェロの髪に手を差し込み、もっとと強請った。
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指と指の間
ククールが持ち帰り、今はマルチェロの指に挟まれた白い封筒が蝋燭の火に翳される。
やがてめらめらと燃え上がったそれをぼんやりと眺めながら、不意にククールは口を開いた。
「俺さ。時々もしもアンタの弟じゃなかったらって思うんだよ」
マルチェロの顔は炎が陰影に映えてゆらめく。
「もしも血も過去も何も繋がっていなかったら、もっと違う関係があったのかもしれない」
白い封筒は修道院に通う貴族の娘からそっと託けられたもの。
「でもね、思うんだ」
火のついたそれはみるみる内に姿を変える。
そうしてマルチェロの手から銀の器へと崩れ落ちた。もう灰だ。
「俺はアンタの弟でよかった」
どうせなら、一瞬で燃やされ灰になるくらいなら、そいつを燃やしてやる炎になりたい。
炎を灯すため溶けてしまう蝋燭でいい。
マルチェロが呼ぶ。
「聖堂騎士団員ククール」
「はい」
ククールが応える。
だがマルチェロの目がククールに云い直しを命じていることにククールは気付いた。
気付いて、少しだけ皮肉げに笑った。
「はい、団長殿」
団長殿、そこが彼には大切。
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肋骨
魔物との交戦で肋骨数本にひびが入ったというククールをマルチェロは見下ろした。
簡易ベッドには痛みに耐えるためか、くちびるをやや強く結んでいるククールの姿。
「日頃の訓練の賜物だな、ククール。訓練と云っても、ドニで酒をやる訓練だがね」
それで魔物はどうした、と問われたので、適当にあしらっておいたと答える。
「ほら、俺、あしらう訓練も酒場で積んでるんで」
「役立たずめ。早急に討伐部隊を向かわせねばならんな」
と、そこで不意にマルチェロの手が降ってきた。そろりと肋骨辺りに触れられる。
鋭い痛みにククールは思わず目を瞑って耐えた。
「…痛いか?」
鼓膜を打つマルチェロの低い声。
「痛い。痛いね。すごく痛い」
ククールの痛みを忘れたかのような静かな声。
「でも生きているから痛い。生きているからこの痛みを与える手を感じられる」
ククールはマルチェロの手に手を重ねる。
「楽にして欲しいだなんて、俺は思わない」
更なる痛みが全身に走ったが、かまわなかった。
「俺は生きて、痛みにのた打ち回ることを選ぶよ」
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腰
魔物を羨ましいと思ったことがある。
マルチェロの前に立ち塞がった魔物を羨ましいと思ったことがある。思っている。
低く唸り威嚇する魔物を眉一つ動かさず見据え、腰に帯びたサーベルに手を掛けるマルチェロ。
すらりと抜き放った刃は闇に光を生み、まるで彼の眸に宿る炎のよう。
そうして飛び掛ってくる魔物を一刀両断。
ただ刃が魔物の肉に食い込む寸前にだけマルチェロは口許を吊り上げて、悦びを垣間見せる。
獲物を狩る至福のとき。魔物から噴き出す血は彼の憎悪の一片。
その行為に歪めて笑む顔が残酷であればあるほど、俺は彼に深く酔う。
サーベルから滴り落ちる赤黒い血を空を斬ることで払い、剣を腰の鞘へとおさめて、そこでおしまい。
魔物の死骸を見下ろす眸はもう興味の失せたそれ。
俺は魔物を羨ましいと思ったことがある。俺はいつも彼の後姿しか見れない。
でもまだその彼が剣を抜き放つ、その前には立てない。
もう少しだけ、もう少しだけ、その後姿に縋っていたい。
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くるぶし
痛い、とククールは背中をマルチェロの寝台から浮き上がらせながら鋭く悲鳴を上げた。
ククールの両足首を掴み上げ、その身体を揺すぶっていたマルチェロの動きが止まる。
「痛いだと?」
訝しげにククールを見下ろしてマルチェロ。ククールは荒い息の下、僅かに首を振った。
「ちが…う、あし…くるぶしのとこ…つめが…」
その言葉に、力任せに掴んでいたククールの足首の右に目を向ける。
ククールの云う通り、くるぶしにはマルチェロの爪跡が刻まれていた。
「…ああ」
マルチェロは納得したとばかり微かに頷く。そして掴み大きく開かせていたククールの脚を肩に掛けた。
そのまま身体を奥へと進める。
深まるふたり。
その動きに嗚呼とククールは身体を震わせた。
「…すげ…きもちいい…」
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足指
彼らは女神の子。敬虔な祈り子。
女神を敬い、我が身の幸を唱えて、偶像にひれ伏してはその足に接吻けを落とす。
俺は王者の使い魔。ふしだらで、けれど誰よりも従順な一振りの剣にして楯。
王に尽くし、王の幸を願って、彼にひれ伏してはその足に接吻けを落とす。
「我が王よ、あなたのお国にとわに幸あれ、恵みあれ」
安らぎよ、御心にあれ。
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