Brothers 20

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嘘吐き


 ソファで新聞を読むマルチェロの足元で、ククールはドラゴンクエスト099プレイ中。

 何処かのダンジョン、ふたつの宝箱の前でウロウロ。

 ひとつはきっとお宝入り宝箱、もうひとつは人食い宝箱。

 「なあ兄貴。アンタはもうここクリアしてたよな?」

 ククールが振り返る。マルチェロはばさりと次のページを捲る。

 「してる」

 「じゃあさ、これどっち開ければいいか覚えてる?」

 ちらりと見やって、記憶検索。「右だ」と答えた。「右ね」とククールが宝箱を開ける。

 すると人食い箱現る!

 「うっ、嘘吐きー!」

 「嘘ではない。人食い箱は右だ。そら倒せ。倒してレベルを上げるのなら、右で正しい」

 「普通こういう場合は宝箱を教えるもんだろ。バカー」




目薬


 テーブルでノートパソコンに向かっていたマルチェロが不意に椅子に背を預けた。

 その音にソファのククールが振り返る。

 「どうしたんだ?」

 「…いや、目が乾いただけだ」

 「ふーん、ドライアイってやつだろ、それ」

 テレビへと戻るククールの視線。再び響く軽快なキーボードのリズム。

 「なあ」

 「なんだ」

 背と背が向かい合わせ。

 「泣かしてやろうか」

 ククールが云った。ベッドの上で、ソファも例外的に可。マルチェロの手は緩まない。

 「お前が泣くのがオチだろう」

 それに応えてククールが笑う。

 「さあ。それはやってみないと解らないと思うぜ」

 マルチェロはあくまで仕事中。

 「お前が泣かされたいと云うほどマゾだったとはな」

 「知らなかったとは云わせないよ」

 そう教え込んだのアンタのくせにぃとククールはいつでもどうぞとばかりソファに体を倒した。




魔法



 兄とキスをする。体を重ねてキスをする。

 このままこんな床の上でことに及んでしまおうかと兄の舌が云っている気がした。

 服の裾からいつもより少し熱い手がするりと侵入、その手も云っている「ここでしようか」

 だからククールは舌を絡めることで返す、今は言葉も紡げないほどだから。

 感じる首筋を少し晒して、ほらここ、「ここに、ここでして」

 だと云うのに、突然傍に置かれた兄の携帯電話は鳴り出した。

 舌打ちは心の中で、ククールはキスを続けながらも、手でそれを遠くへ押しやる。

 すごく邪魔、今邪魔、ホントはいつも邪魔なんだよ、お前。

 バイブレーター、床の上で煩い携帯。今はキスの途中。もっと遠くへいって、静かにして。

 そうくちびるを重ねていると、マルチェロがふと笑った気がした。

 苦笑のような満足げなような、それ。

 嗚呼と思った。

 下唇を、まるで彼が肌に跡を残すときのように吸われる。それがおしまいの合図。

 兄が体を起こす。不満げなククールの腕が絡めたいマルチェロの首を追う。

 そんなククールに兄はズルイ男の微笑を浮かべて云った。

 「魔法の時間は終わりだ、王子さま」

 ガラスの靴は何処?




ぬいぐるみ


 別にただいまという言葉があるわけじゃない。だからおかえりというのも何か癪。

 彼としてはどうして自分の家に入るのに挨拶がいるのか理解不可能といった様子であるし、

 そうなると俺としても彼の家なのにおかえりというのはへんかなと思い出す。

 そういうわけで彼の帰宅はドアノブが回る音で気付き、リビングに入って来たことで確認する。

 俺はいつもリビングのテーブルにレポートや何やらを広げていて、

 おかえりという代わりに帰って来たことに気付いてるというサインに顔を上げる。

 そういう暗黙の決まりごとに一つ項目が追加されたのはつい最近のこと。

 俺がいつものように顔を上げて視線を合わしたら、兄の手が伸びてきた。

 最初はその手が意図することが全く解らないというかは、予想範疇を超えていて、

 俺は目の前の手と兄の顔を見比べて、少しだけ困った顔をしてみた。

 だが兄は素知らぬ顔。けれど素知らぬ顔で、その手は俺の頭を二・三回撫でて離れた。

 それからというもの、俺は兄の顔を見上げる、兄は横を通り過ぎるとき俺を撫でる、そういうことになった。

 何かの折にあれはいったいどういう意味かと訊いたことがあったが、返ってきた答えは、

 「愛着がわいた」

 俺可愛いもんな、と云ったら頭を軽くはたかれた。




手が滑った


 その日は日曜日。

 平日はなかなか大きなスーパーマーケットに足を伸ばして食料品・日用品を買えない二人は、

 「起きろ」というマルチェロの蹴り一発により、ククール命名・買出しデエトに出掛けることにした。

 「気分だよ、気分。そっちのほうがやる気出るんだよ」というのがククールの言い分。

 ならば3:5くらいの比率で荷物を持たせてやろうとマルチェロは算段する。

 食材・缶詰ついでにお酒。次々にカートへ放り込むマルチェロの手際の良さ。

 だがついでにとばかりククールが放り込もうとした雑誌類にはストップ。

 「ククール。それは小遣いで買え」

 「ケチ」

 「それとももう小遣いがないのか?」

 マルチェロが問うと、ククールはそうそうと調子良く頷く始末。

 「ならば来月からは私に小遣い帳を提出したまえ。

 その結果小遣い額が足りないという万が一のことがあるならば、来月の雑誌は買ってやる」

 「それじゃ今月のこれは読めねえじゃねーか」

 「明日の交際費を抑えればその雑誌くらい買えるだろう」

 「なんでデエトのこと知ってんだ!」

 ふふんと鼻で笑ってマルチェロはレジへ。

 ククールはその背後。レジのおばちゃんがカゴへと手を伸ばした、その瞬間、雑誌投下。

 「あ、手が滑ったー」

 おばちゃんが見事雑誌のバーコードを読み取る。

 「来月から小遣い帳を提出するように」

 マルチェロは舌打ちひとつ。




ティッシュペーパー


 ベッドの、白いシーツの上にはククール。仰向けに寝かされた顔はそっぽを向いている。

 別に上に圧し掛かる、今にもこの体へと潜り込んで来ようとしている兄が嫌いなわけじゃない。

 嫌いだったらしてねえよ、こんなこと。ククールは痛みに「あっ」と息を吐いた。

 ただ嫌なのだ。痛いと口に出しては云わないけれど、そう訴えているこの顔の歪みが。

 瞑った目の端から滲む僅かなそれを見られるのが好きじゃないだけ。

 収まった兄がゆるゆると動き出す。立てたククールの膝が気持ち良いと開いてゆく。

 その内その手が腕ごと伸びてきて、反った背の下に入れられた。

 そのまま彼の肌へと抱き寄せられる。

 「ああ」とまたククールが大きく喘ぐ。深く交わったそこ程とはいかないが体が重なる。

 ククールの背が描くカーブをマルチェロの背もまた描く。

 ククールの脚はいつしかシーツを離れ、マルチェロの腰へと絡み付いていた。

 ***

 「最近この部屋のティッシュ減るの早いよな」

 枕元のティッシュを数枚抜き取りながらククールが云えば、

 「誰かが入り浸っているおかげでな」

 マルチェロはとりあえずイヤミアイデンティティを確立する。




ドアノブ


 テーブルに右の頬っぺたをつけていた。

 そうすれば玄関から続く廊下とこのリビングを隔てるガラス戸が良く見える。

 カチコチとアナログ時計は擬音そのままの音を一人きりの部屋に刻んでいる。

 ククールは兄の帰りを待っていた。

 夕食は取った、入浴も済ませた、明日に提出物はないし、お決まりのテレビも見終わった。

 兄はまだ帰ってこない。

 もう眠い、半分思考を停止した脳は、けれどそちらのほうが好都合だと思う。

 余計なことを考えずに済む。多少ペシミストは自覚済み。あんな兄といれば尚更だ。

 今は兄を待てばいい。それだけでいい。とても簡単。

 そんなククールの耳に玄関の鍵を開ける音が聞こえたのは、深夜過ぎ。

 ククールは動かない。テーブルには右の頬。

 だって今は兄を待つだけだ。それだけでいい。

 それ以外どうしていいかなんて、もう脳みそが教えてくれない。

 ガラス戸のドアノブが意外なほどゆっくりと回される。あまり音は立たなかった。

 開く扉。そこに兄の姿。

 「…遅い」

 ククールはそう少しだけ咎めた。




インスタント


 夜着の布越し、体の右を下にし横たわっていた背中に兄を感じて、ククールは目覚めた。

 髪がうねる首筋に兄のくちびる。ククールはよく働かない頭で今何時だろうかと考えた。

 それは思考覚醒へのステップ。

 「…いま…なんじ…?」

 「午前一時半過ぎだ」

 そう耳に兄の少し熱い息と共に吹き込まれる。「あ…」と素直に声が漏れた。

 どうやら寝起きのせいか、あまり体に力が入らず、コントロールもままならない。

 反応は鈍いけれど声が聞きたいときは寝惚けているときがいいんだと、ククールはそんなことを思いつく。

 まだ思考がまどろみの中、バラバラでざわざわ。

 掛け布の中で兄の手が動いた。

 「あ…ちょっと…」

 布越しに腰の辺りをゆるゆると撫でられていると思っていたら、

 そのまま徐々に兄の手が夜着の裾から肌を探り出そうとしている。悪い手だ。

 「なあ…するの…?」

 素肌を兄の指が辿ってゆく。下腹部から鳩尾、そして胸。

 「したくないのか?」

 ククールの体が折れ曲がってゆくのを体で追いかける兄。

 「しんじらんねえ…ごういんすぎだし…あ…ん…かんかたんに…てぇ…だせるとおもって」

 じわりと肌が熱く湿りだした首筋から肩に兄の接吻けを受ける。

 「…っあ…」

 その間にも兄の手は焦らすように下へ下へ。

 「んん…」

 そうして下穿きに指先を侵入させたところでその手は止まった。

 「したくないのか?」

 意地悪。




片方


 ふと耳に手をやって俺は蒼褪めた。ない。そこにあるべきものがない。

 慌ててその場を見回すが、俺を取り囲むアスファルトにそれはない。

 ピアスがないのだ。この間兄と出掛けたときに雑貨店で見つけたピアス。

 別にそんな高いものじゃない。「買って」と云ってみたら、お金が返ってきた、そんな経緯。

 俺は来た道を急いで戻り始めた。

 ***

 ピアスは今日も見つからず、諦めがちの紛失五日目。今は違うピアスを入れている。

 そんなしょぼーん状態の俺に、夕食後兄が話しかけてきた。

 「おい、ククール」

 ピアス紛失のことは云ってない、だから余計に気まずい。

 「なに…?」

 すると兄は俺の前に手を差し出した。その指には片方だけのピアスが摘まれている。

 「あ…これって」

 俺の紛失ピアス。

 「落ちていたぞ」

 掌に受け取る。

 兄はそれ以上何も云わなかった。俺はごめんと呟いた。

 ***

 あと一度くらい、あの弟のことだ、またピアスをなくすかもしれない。

 マルチェロは自室に一人、片方だけのピアスを摘んで考える。結論は早かった。

 「…置いておくか」

 本日お買い上げピアスの片方を無造作に引き出しに放り込む。




「ぐーで殴らせなさい」


 冷蔵庫の扉を開けてククール。

 「…あれ。うおーい、兄貴。俺のビール知らね?」

 風呂上りの一杯がたまらない。兄の返答はすぐに返ってきた。

 「知っている」

 振り向けばテーブルに兄。その手には缶ビール。

 そりゃあ知っているはずだ。それで知らなきゃボケてる。

 「それ、俺のなんですけどねえ」

 「名前など書いていなかったが?」

 そう云って、ぐびり。喉仏が上下する。

 「でもちゃんとこれ俺のって云っただろ」

 「云った証拠は?」

 「…アンタが証人」

 「私は知らんな。記憶にない」

 「政治家か、アンタは」

 それにさあとククールは兄が持つ元ククールのビールに手を伸ばす。

 「買うとき、アンタもいる?って訊いたときは要らないって云ってたし。要るなら要るって云えよ」

 ククールの指先が缶に触れる。瞬間兄は缶を自らの方へ引いた。そうしてククールの目を見上げる。

 「では、要る」

 口許には意地悪な微笑。

 「むかつく」

 俺、兄貴のこれに弱いんだよなあとククールは溜息の代わりにむぎゅ。

 「…抱きつくな」

 「ビール代」

 「このビールはそんなに高いのか?」

 「ほんとむかつくっ」

 ククールは笑った。




リモコン


 大学生の生活というのは不規則で宜しくない、とマルチェロは思う。

 午前一時半、マルチェロが就寝しようと寝室へ入ればベッドに埋もれた弟の姿。

 扉から明かりが差して、ククールはもぞりと動いた。

 「起こしたか?」

 マルチェロがベッドに腰掛けながら問う。するとククールは寝ぼけた顔でいいやと首を振った。

 「今起きたとこ」などと云うので、一瞬授業料を払うのが嫌になる。

 そのククールの手が枕元を探り出す。マルチェロは先にククールの探し物を見つけ、渡した。

 テレビのリモコン。

 「…よくわかったな、これ探してるって」

 ククールが見上げてくる。

 「お前の行動パターンは単純だからな。二日観察したら解る」

 云うと、ククールはリモコンを枕元に放り投げた。

 「テレビは見ないのか?」

 マルチェロはククールを脇に寄せ、ベッドに体を横たえる。

 「偶には予測外のことしないと、観察終了しちまうだろ」

 すかさずククールがくっついてくる。マルチェロは嘆息。

 「…この行動も予測の内だが?」

 ククールはマルチェロの腹に両肘を突き、掌に顎を乗せ兄を見下ろした。

 「へえ。予測の内なのに、ここで寝るんだ。それってOKってことだよなあ?」

 俺の勝ち、とにんまりする弟をとりあえずマルチェロはリモコンの角でがつんと叩いておいた。

 「ここは私の寝室だ。ここで寝て当然だろう」




ジンクス


 雨の日は不吉。

 「きっと俺が生まれた日は雨だったに違いない」とククールがテーブルに突っ伏し、

 ちらりと窓の外を見ながら云ったので、それは何故かと訊けば冒頭の答えが返ってきた。

 朝から雨が降っている。ククールの気分も地を這うようなそれ。

 「だってそれに兄貴の大学に落ちた日も雨だったし。試験の日も雨だった。

 俺を引き取って育ててくれた人も雨の日に死んだし、葬式も雨だった」

 長崎は今日も雨に違いない、などと云えるあたり、蹴ってやろうかと思う。

 「兄貴、今日は何処か出掛けるのか?特に用がないなら家にいてよ。

 俺の目の届くところにいなきゃ心配になるだろ。雨の日は嫌なことばかり起こるんだ」

 と云ってシャツを握られたので、私はさっさとその手を払った。

 「ひでえの」

 ククールが呻く。

 私はバカかと云ってやった。

 「お前はただの雨男だろう」

 「…ミモフタモナイお言葉どうも」

 ククールがへらりと笑う。

 そして雨だと頭が痛くなるから薬でも飲むと漸く顔をテーブルから上げたので、

 「そういえばお前が私の元に来た日も雨だったな。やはり雨の日は不吉かもしれん」

 そう薬を取りに行く背中に云ってやった。その言葉にククールが振り返ってニヤリ。

 曰く「…ジンクス破れたり」




炭酸水



 冷蔵庫を開けると、果汁系ソーダが入っていた。

 こんなもん買った覚えはねえなあと首を傾げて、背後の兄を見やる。

 マルチェロは只今夕食作りの真っ最中。

 「ククール。夕食前に間食をするな。冷蔵庫をいつまでも開けるな。何度云ったら解るんだ」

 そっちこそ何度云ったら気が済むんだ。

 「これ、兄貴が買ってきたの?」

 果汁系ソーダ。飲まないくせに。

 「ああ。もらった。飲みたいのなら飲んでいい」

 云われて、俺はソーダを取り出して、困り顔。

 「俺、あんまりソーダ好きじゃないんだよな」

 「ほう?」

 「あの口の中で弾ける感じが嫌い」

 そう云うと、マルチェロに笑われた。

 「子供だな、お前は」

 ソーダはとりあえず元の場所。

 「うるせえな。でもビールは飲めるぜ?」

 代わりに缶ビールを取り出そうしたら、マルチェロに冷蔵庫の扉を閉められた。むか。

 「なんだよ」

 「冷蔵庫をいつまでも開けておくな、何度云っても解らん奴だな」

 それに、とマルチェロが付け足す、「そろそろビールより、ぽん酒だろう?」

 わあお、さすがおにいさま。

 「子供の俺にんなの飲ませて、悪い大人だね、アンタ」




朝焼け


 リビングの窓に掛かったカーテンの隙間から入る赤々とした光に気付いて、

 床に転がっていたククールはマルチェロに呼びかけた。

 「兄貴…ついに朝だぜ」

 マルチェロは徹夜作業。学生の小レポートにペン入れ中。

 「そんなのいちいち細かく直さなくたっていいと思うけどな、俺は」

 不機嫌と眠気の境目。

 「細かく指導するのが教師としての役割だ」

 そんなマルチェロの答えに、更にククールはぶうたれる。視線は窓の外。

 カーテンを少し摘んで外を見やれば、朝焼けだった。

 「よく云うよ。俺のことは全然かまってくれないのにさ」

 「これが終わればかまってやると云っただろう?」

 「その終わるの待ってて、今に至るんですがねえ。こんなの放置プレイもいいとこだぜ」

 視線をマルチェロに戻しても、彼は見向きもしない。

 「保護者としては放任主義の方針でね」

 「過保護な兄貴の方が好きー」

 「では門限でも決めるか?」

 「うーん、それは勘弁…」

 手がカーテンから離れる。そのままばたり。

 床にククールの手が落ちる音がして、マルチェロは漸く顔を上げた。

 「ククール」

 呼べど返事はなし。どうやら待ちくたびれて、夢の中。

 マルチェロはやれやれと多少過保護にその体にブランケットを掛けるため立ち上がる。




触れる事

 
 「女の子とそういうことするの、俺から手を出したことはないんだぜ?

 まあ手を出してるって云えば、そうなんだけど。

 なんていうか、向こうがそういう態度のときしか手を出さないんだ。

 だってね、俺、実は怖いんだ。触れようとして、それ、拒否されるの。好きじゃない。

 だから俺からは触れない。触れなきゃ、拒否もされないだろ。そういうことだよ。

 拒否されないってわかってはじめて、触れてみようかなって思える。

 俺からは触れれないんだ。絶対に。

 でも俺に触れようとする手は拒否しない。これがきっと女たらしの所以なんだろけど。

 わかってるよ、そういうのおかしいって。ときには拒否しなきゃいけないってことも。

 俺、ちょっとおかしいのかもね。アンタのせいだ。わかってる?

 ねえ、俺は、アンタに触れれないよ。俺からは触れれない。絶対に。

 もう二度とごめんだ。俺は辛いとか、痛いとか、哀しいとか、嫌いなんだ。

 でもアンタに触れたい。もう一度触れたい。…違う、まだ触れちゃいない。だから触れたい。

 ねえ、だからアンタから触れてみて。その手で触って欲しいんだ。

 アンタに触られることで、俺はアンタに触れられる。ねえ、だから兄貴、早く俺に触って欲しい」




コンタクトレンズ


 週末のウインドショッピング。眼鏡店の前で立ち止まってククール、

 「俺も眼鏡とか掛けてみようかな」

 「お前は目が悪かったか?」とマルチェロが尋ねる。

 「いや、別に。なんかインテリ眼鏡とかしたら、俺も頭良さそうに見えるかな、なんて」

 「中身が伴わなければ、外見をいくら変えたとて無駄だ。やめておけ」

 マルチェロの言葉にククールは笑った。

 「ひでえの」

 じゃあさ、と続ける。

 「中身の伴ってる兄貴の眼鏡掛けた顔見たい」

 「私は目は悪くない」

 「度が入ってない奴とか掛けてみてよ。絶対似合うぜ?」

 と兄の腕を引っ張り掛けて、ククールははたと立ち止まる。

 「あ、ダメだ。やっぱやめよう。兄貴はそのまんまがいいや」

 「忙しい奴だな」

 「うん。だってさ」

 背伸びククール。兄の頬にそのくちびるが掠めて。

 「お前…!」

 「くちびるにするとき、邪魔だろ。不意打ちできなくなるの、やだ」

 ククールはにやり。

 「あと不意打ちされなくなるのも、やだし」

 だから目が悪くなってもコンタクトにしてくれよなと腕を絡めてくる弟にマルチェロは不意打ちデコピン。




階段


 深夜とまではいかなかったが、

 決して早くない帰宅をしたマルチェロは自宅の扉を開けようとして、

 ふと背中に恨めしげな視線を感じ振り返った。

 そこには非常階段に腰を下ろし、寒いのか少し震えている弟の姿があった。

 「何をしている?」

 「鍵、なくして。家、入れないから。待ってた」

 どうして今日に限って遅くに帰って来るんだとククールは座り込んだまま膨れっ面。

 「お前の鍵はテーブルに置いてあったが?」

 マルチェロは鍵を差込み、扉を開ける。

 「なんだ、失くしたのかと思ってた」

 鍵を持たずに今朝は出掛けてしまったらしい。

 「つーか、じゃあアンタ、俺が鍵持ってないこと知ってて遅く帰ってきたのかよ」

 ククールはまだ立ち上がらない。扉は開いたというのに。

 「お前のことだから、適当に時間を潰して帰ってくると思っただけだ」

 日頃の行いのせいだな、とマルチェロはもう一度ククールを振り返る。

 さっさと入れ、とマルチェロの目が云った。ククールは仕方なく立ち上がる。

 「何を拗ねている」

 「違う。俺は怒ってるの!」




泣き顔


 ククールが不意に「うぎゃっ」と叫んで屈みこんだので、マルチェロは鬱陶しそうな顔で振り返った。

 「何事だ、騒々しい」

 そこにはガラス戸の前で蹲るククール、「…足の小指の間を…思いっきりぶつけた」

 痛い、とぶつけた小指を押さえ込む。強がりな青の眼にはうっすら涙。

 こればっかりは仕方ない。それくらい痛い。

 「何をしているのだ、お前は。まったく」

 そんな呆れ声が予想外にも頭上から降ってきて、ククールは振り仰いだ。

 そこにはマルチェロ、「どれ」と無造作にその手が伸びてくる。

 そのまま足首を引っ張られて、背中をガラス戸にゴチン!

 文句を云おうとしたククールは、けれど目の前の光景に驚いた。

 兄の舌がぺろりとぶつけた小指に這わされている。

 「な、な、なっ、何するんだっ」

 「したくなった」

 「…はあ?」

 「その顔を見たら、したくなってと云っている」

 強がりな眼のうっすら涙。

 「へ、へんたい!」

 そんなククールの訴えは何所吹く風。ひょいと体を持ち上げられる。しかも幼児抱っこ。

 「姫抱っこじゃねえのかよ!」

 「過程など問題ではない。大切なのは結果だ」

 「意味わかんねえし。このサド!」

 「耳元で騒ぐな、煩い。私に舐めてもらいたくば黙って、そそる顔でもしておけ」

 そんな言葉で思わず口を噤んでしまう俺ってどうよ、なんてククールは兄の肩に頬を預ける。




どうしようもない


 夕食後のだらだらタイム。ソファで互いに凭れ合い、テレビなんぞ眺めてみたり。

 「ククール。お前はレポートがあると云っていただろう。テレビなど見ている暇はあるのか」

 「大丈夫大丈夫、提出まであと四時間十三分もあるんだぜ」

 「それで大丈夫だった試しはあるのか?」

 「ないね。でも毎回ギリで間に合ってるから平気」

 「お前を見ていると学生のレポートを読む気が失せる」

 「人のせいにすんな。兄貴こそやることあるなら、さっさとやれば」

 「無駄口叩いている間にも、あと四時間十分だぞ」

 「うるせー。兄貴は〆切なくていいよな」

 「あと四時間九分」

 「それ、カウント早すぎだろ。あー明日何かの小テストもあったし」

 「勉強しろ」

 「そういや兄貴も何か遺産管理がどうのこうのとか云ってなかったっけ」

 「あれか。本来なら本妻の息子であるお前が…いや、止めておこう。

 理解できん奴に話すだけ疲れる。なまじ資産家だっただけに面倒事だけが残った」

 「すみませんねえ。遺産のこともよくわかんない面倒事その1で」

 「親戚も役立たずだしな」

 「つめてーよな、あいつら。兄貴も程よく冷たいけど」

 「そういう血筋なのだろう」

 「えー。俺はあったかいぜ?ほら、な」

 「抱きつくな」

 「なあ、する?」

 「しない」

 「ちぇ」

 「そんな暇があるならレポートか勉強をしろ」

 「兄貴こそしろよ」

 「お前に抱きつかれて出来んな」

 「俺も手ふさがってて無理」

 あと四時間四分。
 



「ありがとう」


 朝食のテーブルを囲んで二人。

 ふとマルチェロのカップにコーヒーがもう少ないことに気付いて、

 ククールはトーストを齧りつつ、サーバーからコーヒーを注ぎ足した。

 コーヒーを入れるのは朝が早いマルチェロの日課。

 そのマルチェロはククールの手がマルチェロの傍にあるドレッシングに伸びていることに気付き、

 取って無言で手渡し。

 ドレッシングは昨日の朝切れて、ククールが学校帰りに買ってきた。

 朝食も佳境。マルチェロは新聞に手を伸ばす。兄は一面、弟は自動的にテレビ欄。

 「あのさー、兄貴」

 サラダをもぐもぐやりながら弟。

 「飯食いながら新聞読むの、行儀悪いぜ?」

 それを聞いて兄、

 「口の中に物を入れたまま喋るな。行儀が悪い」

 新聞を捲る。

 そんな朝、一日のはじまり。





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