同居
「髪、伸びたね」
寝台にごろりと寝そべったククールは、視線と水平にあるマルチェロの髪を触ったり、握ったりを繰り返す。
マルチェロの髪はそうできるくらいには伸びていたし、そうできるくらいには月日も経っていた。
だがマルチェロは床に座し、そこに広げた種々の書簡に目を通すことをやめない。
ちぇ、とククールは一息ため息をつく。
「邪魔にならない?」
そう訊ねたが、返事がないので、仕方なくまたククールが呟くように言う。
「ね。括ってやろうか?」
だがやはり大した反応はなく、ククールはしばし思案してから、口にした。
「なあ。きっと似合うよ。おれに似合ってんだもん」
だから兄貴のアンタに似合わないはずがない。そう言うのには少しばかり勇気がまだ要った。
そんな勇気をごまかすためにククールは「なあ、なあ、なあ」を繰り返し、
マルチェロの服を引っ張ってもみる。
すると漸くマルチェロは傍らにあった書籍を手に取り、その表紙でククールの顔面をぺしんとやった。
「邪魔だ」
「返事。遅いっての」
鈍いんだからと言いながら、素知らぬ振りしてククールはマルチェロの髪を撫で始める。
マルチェロは素知らぬふりをするククールを素知らぬ振りして許すことができるほどには、
弟に対して寛容になっていた。
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別行動
どうにも結局彼は律儀な人なのだ。
頼むから、時々でもかまわないから、譲りに譲ってたとえそれが一行ほどだっていいから、
便りを寄越して欲しいと願ったところ、世界のあらゆるところからククールの元に手紙が届くようになった。
時々でもかまわないと言ったのに三十日ごとに必ず手紙は届いたし、
一行でもいいのだと言ったのに丁寧に封をされた中には決まって三枚は文字を連ねた紙が入っている。
ククール近況を尋ねるでもなく、また自らの近況を多く語ることもないその内容は、
終始ククールへの戒めに多くを割いている。
時折ククールの所業をどこかで耳に入れているのか、そのことを言及し、戒めているときもある。
ククールといえば、その文面になんとか返信を書こうとペン先をインクに浸すことはするのだが、
そこからは筆が進まない。
どうにも結局自分は律儀者ではないらしい。
時々、数行程度の返信をなんとか返している程度。
内容も決まって次の手紙は何処へ送ればよいかというもので、
最後の最後に「手紙の遣り取りにはもう飽きました」とそろそろ一緒に暮らしたいと言外に書いている。
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同居
マルチェロが望まれて組み敷いてやったククールが身動ぎもせずにマルチェロの腕を見詰めているので、
「どうした」と問うてやる。
ククールは「あ」とか「いや」とか「ん」とか誤魔化していたが、
やがて指で筋の浮き出たマルチェロの腕をつつっと辿った。
「きれいに癒える傷なんてないんだな、と思ってさ」
マルチェロが自ら突き立てた剣の跡にククールは目を伏せる。
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同居
夕食時、俺は兄貴の飯が一品多いことに気がついた。デザートなのか、瑞々しい苺が器に盛られている。
俺にはない。
「ちょっと。それ、なんだよ」
俺が問うと、「苺だ」なんてマルチェロは言う。それからしれっとした顔で「今朝、届けられた」と付け足した。
「いや、だから、なんで俺にはないの」
そりゃあその苺がひとつしかないなら、諦める。だいたい苺が特別好きなわけでもない。
でも、そんなにたくさんあるのなら、分けてくれたっていいじゃないか。
なんて思っていると、マルチェロが器ごと俺のほうへ苺を押しやった。
「やる。もともと苺を特別好きなわけではないからな」
じゃあなんで最初っから俺んとこに置いてくれなかったんだと言ったら、マルチェロは食事を始めてしまった。
うん、でもまあきっとこういうことなんだろう。
「兄貴のをさ、俺に、くれて、ありがと」
苺をひょいと指でつまんで、しゃくしゃく食べた。
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二人旅
「おはよ」
宿屋の二階、マルチェロが朝食を済ませる頃に漸くククールが階段に姿を現した。
そのまま足取りも重く一階へ降り、マルチェロのテーブルにつく。
まだ半分しか開いていない眸、結んでいない髪、着崩した旅の服。
どれを取っても昔教えた「いつ何時でも」が生かされていない。
「それ、ちょーだい」
ククールはまだマルチェロが食べているサラダの半分とスープの残りを指して言った。
マルチェロは追加を頼めと言ったが、「全部食べきれる気がしねえ」などと、
もう皿を自分のほうへと引き寄せている。
「賭場へ行ったな」
マルチェロはパンを半分与えながら、少し口調を強めた。だがククールは悪びれない。
「ばれたか」
この頃の彼はなにもかもがこの調子だ。隙を見せることが多くなった、とマルチェロは思っている。
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同居
左の首筋にその鼻筋が宛がわれたので、
俺は素直にそこを反らして晒して、「さあもっと」という意思を表明して見せた。
「お前は抵抗をしないのだな」
外はまだ明るいし、俺は床で本を読んでいた。
壁際に追い込んで、のしかかってくるような、そんな時でないことくらい分かっている。
「だが従順すぎるのはいけない」
マルチェロは俺の喉をキスで辿って、そう言った。
「ああ、もっと」とそこを反らして晒したせいで、コツコツと頭が壁にぶつかる。
「お前がいやだと抵抗するようなことをしてやりたくなる」
そう意地悪く笑うマルチェロの頭ごと抱きしめた。いいよ、と囁く。
「もっと、もっと、いろんなことをして」
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同居
間を置きに置いて、トン、トン、と音がする。途切れ途切れに音がする。
だが昼を過ぎる頃、本当にそれは途切れてしまった。
代わりにカタカタと音がするので、風が出てきたらしい、私は居間の窓を閉めるため部屋を出た。
「おい」
ククールはテーブルに頬杖をついていた。姿勢もひどく悪い。前髪を風に好きにさせている。
「窓を閉めるくらい思いつかないのか」
傍の窓を閉める。
ククールは「棚の物、まだ落っこちていないだろ」などといつものように反抗的だ。
どうやらチェスをやっているらしい。一人で。
「あー…退屈でね。暇つぶしだよ。全然つぶれてねーけど。眠くなってきたくらいだ」
意味もなく駒で盤を突付く。ククールが博打をしなくなってからもう長い。
「禁欲生活してんの。おれも。アンタにヒンコウホウセイを説くために」
などと私を振り仰いで笑った後、「つーか」とそっぽを向く。
「おれだけそういうのをするってのは、フェアじゃない」
そう言う彼の対面の椅子を引いた。掛ける。
「相手をしてやろう。お前の場合、一人でやっていても、バカが巡るだけだろう」
するとククールは最初きょとんとした顔をしていたが、すぐさまいつもの斜に構えたような面になる。
「いい。要らない。負け戦をするのは、それこそあほだ」
「負け戦から学ぶこともある」
「やだね。おれ、そういうの、やる気出えね。ま、アンタがどうしてもやりたいってならさ」
とここでククールは漸く頬杖をやめた。
「ハンデくれよ。おれが勝てそうなくらい欲しいな。な、いいだろ」
「…まず何故私がどうしてもお前とチェスをしたくなっているのか、説明してもらいたいのだがね」
「したくないの?ハンデくれねーの?」
ククールは首を傾げて見せる。わざとなのだろうなと理解はしているが、折れてやることにする。
「分かった、分かった」
ハンデをやり、チェスを始める。
「お前は」
「ん?」
「このごろ直情的になった」
「あー。そりゃこっちのほうが何かと甘やかしてもらえるんでね。かわいいだろ、こういう弟」
あえて返事はしなかったが、ククールは別段何も言いはしなかった。
また途切れ途切れに駒が置かれる音がする。
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同居
「雨、降ってるぜ」
ククールはぼんやりとそう呟いた。
呟いたくせに、大きな声を上げることも立ち上がって引き止めることも出来ないくせに、
それっぽっちの言葉で伝わればいいなんて伝わって欲しいだなんて思っている。
頬杖をついてしまっているから彼を見上げられないんじゃなくて、
見上げられない理由に頬杖をついているだけ。
マルチェロは取り上げていた剣を片隅に置いた。
「いつか降り止む」
そんなことを言う。
だがククールはそうだろうかと思った。雷はこの人のように唸ることをやめていないというのに。
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同居
だんまりの夕食の後(あいつの頭の中は某国の師団編成のことでいっぱいだ)、
家事一切を終わらせてしまった俺は暖炉の前でごろごろと寝転んでいた。
マルチェロは部屋に引っ込んでいる。
騎士団長として騎士を統率配置した辣腕をこうして頼りにされることがこのところ多くなった。
もちろん表立つことはない。
ぱちりと火の粉が弾けた。ゆらゆらと炎が形を変える。時折ころんと薪が崩れた。
そうして冬の初め一人で暖炉の前に敷き詰めた絨毯がいよいよ俺を眠りに誘うので、
俺は早々に白旗を揚げた。片腕を枕に瞼を閉じる。
体の欲求に従うほどの気持ち良さは他になく、俺はそのまま素直に眠りへと落ちていった。
それからいくらも経っていないだろう。そう分かったのは暖炉にくべられた薪のせい。
「ククール」
いつの間に部屋から出てきていたのか、マルチェロが俺の体を揺すっている。
その手の指が肌に触れ、ああ冷たいな、と思った。今の今まで書きものをしていたのだろう。
「なに」
と俺が言ったのと、肩に担がれたのは同時だった。
そのまま荷物のように運ばれ、荷物以下の扱いでマルチェロの部屋の寝台に放り落とされる。
風邪を引くと言うだとか、なにかを掛けるだとか、
そういうことを言うほうが余程手間が掛からないと思うんだけどなあ。
暫くしてベッドに入ってきたマルチェロの冷えた体にもぞもぞと寄り添いながら、
俺なんかはこうしてずぼらをさせてもらっている、なんて思った。
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同居
陽は真上を通り過ぎた。西に傾きかけてさえいる。ククールは未だ帰らない。
マルチェロが思い返すのは、
食材と雑貨を買い出しに街の市場へ出掛けると髪を結んでいたククールの姿、
それに行ってきますと誰に言うでもなく言い置いた後ろ姿だ。
まず考えられるのが賭場。それから女。
マルチェロはそう思いつかれてしまうククールが全面的に悪いと考えている。
物書きの手が止まった。どうもひっかからない。
であれば、賭場とも女とも違うのだろう。昔から、修道院のころからだ、そういうことはよくわかる。
気にかけていたから。と言われれば、否定をする気はない。あえて肯定するつもりもない。
ともかくそれは追究するほどの事象ではなく、
マルチェロにとって「わかることだ」と認識されていればよい事実なのだ。
では、出て行ったきりククールが戻らないのは何故か。それもわざわざ追究することではない。
戻ればわかることだ。また手が字を綴り始める。
助言を頼まれている。このところ多い。今回は領営のことだ。軍備以外のことは珍しい。
考えている内にククールは追いやられ、頭の片隅にさえ置いてもらえなくなる。
「ひどい」と追われるククールが恨めしげな顔をした。
ククールは、それからしばらくして戻った。食材と雑貨の詰まった紙袋が音を立てている。
用があるときはすぐに、用がなければ少しして、ククールは顔を出す。
硬貨をわざと書き物の上に置いてみせた。
「おつりぃ」
今でなくともかまわないことをわざわざ今しなくてはならないことのようにするのだ。
マルチェロは手を止めてやった。見上げる。
ちょうどククールがいくつかの小さな包みを手の平にのせたところだった。
安いチョコレートを差し出される。
「おみやげ」
そこで引っ掛かった。ククールが戻らなかった、これが理由だ。
「こんなものを選ぶのに手間取ったのか」
手の平から包みを一つだけ取り上げた。すると、あとは硬貨のように机の上に落とされる。
「ばれたか」
ククールは悪びれもせず笑った。
「だってアンタが喜びそうなものなんて思いつかないな」
チョコレートは「あーもーなんでもいいや、めんどくせえし」の産物らしい。
「お前はなんでも喜びそうだがな」
「えーそれは、ない、わけでもない」
マルチェロが遣るものは、その時どんな顔で受けとろうとも、ククールはたいがい喜ぶ。
自覚はあるらしい。そこまで阿呆ではなかった。
「要はそこだ」
マルチェロが遣るからこそ、その物がなんであれ、ククールにとっては価値がある。
「そこまでしておけば、お前のように手間取らん」
「じゃあアンタは俺があげるものなら何でも喜んでくれる?」
問われてマルチェロは笑った。
「物による」
あいかわらず交わす想いの不均衡にククールが恨めしそうな顔をする。
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