Athena Log




Aries


 私の命は二十歳で絶たれた。

 何百年も生きた我が師はきっとなんと短命なことか、花でもあるまいにと笑うだろう。

 彼女は私よりも七年も早くその命を絶った。

 短命な花ではなかった。蕾のままその身を散らすことを善しとした花だった。

 彼女はなにゆえ人の身で世界に現るのだろう。

 花であり続けることが出来るにも関わらず、なにゆえ種から生まれようとするのだろう。

 その問いは、その答えを知る少女から我ら人に課せられた永遠の問いなのかもしれぬ。




Pisces


 戦と知の女神アテナに仕えし者は全て平伏し、

 黄道十二星座、最後の宮を与えられたピスケスは神の座へと続く階段を上がり行く。

 祝福の花が舞うように静寂が地を満たした。

 そこは最も天に近い。しかしそこは大地。

 素足で立つアテナにピスケスは跪いた。

 「美しき支配者にして、最強の神、アテナよ!

  あなたはこの地上を統べるに相応しい方。

  わたしはあなたが悪魔でもかまわない。

  あなたのその腕に抱かれるこの地が人が幸福であるならば、アテナよ!

 我が支配者、我が女神、我が母、我が乙女、 我が永遠のひとよ!

 わたしはあなたにこの魂をもって尽くそう。

 わたしの愛は女神アテナではなく、私の愛は美しき最強の支配者、あなたのものだ」




Pisces



 アスファルトには死んだ蝉があった。成虫の蝉があった。この夏を飛んだ蝉があった。

 少女はそれをそろりと拾い、街路樹の袂にまたそろりと降ろす。

 アフロディーテは少女に影を与えながら問うた。まだ陽は地上を焦がすほど。

 「なにゆえ貴女はそうされた」

 すると少女は白いドレスの裾を払いながら立ち上がる。

 ああ少女はほそい。ああ少女はちいさだ。

 背筋を伸ばして立ったとしてもアフロディーテの影にすっぽりと覆われたままではないか。

 「命は巡ると貴方も良く知る彼が云っていましたから」

 アスファルトで死んだ蝉は土には還らぬ。即ち死は巡らぬ。生ももう巡らぬ。

 アフロディーテは目を細めた。そうする仕草はよく冷淡だとか云われる。相違ない。

 「そうされたのは神の慈悲か」

 アテナよアテナ。わが女神。

 「貴女がその蝉に慈悲を与えたならば、貴女はアスファルトに転がる蝉すべてを土に還さねばならない」

 それが神というものです。

 「ならば」

 アフロディーテの影から少女は静かに現れる。

 「ならば、還しにゆきましょう」

 神とは理想であるべきなのですよと少女は太陽の下、朗らかに微笑んだ。




Cancer+Pisces



 「私は、あの娘を嫌いではなかったから、このまま、まるで眠り姫のように、

 美しい夢だけを知りながら生きるのが、あの娘の幸福でもあろうと思うのだよ」

 アフロディーテは階段を上がった。少し遅れてデスマスクも上る。

 「お前はだれを慰めている」

 あの娘か、落日の英雄か、簒奪者か、それとも俺たちか。

 はっとアフロディーテが顎を上げて笑う。

 「理由など語れば語るほど言い訳に崩れるものだ。正義など声を上げれば上げるほど偽善に移ろうものだ」

 最後の段をついに踏む。

 「言っただろう。わたしは、あの娘が嫌いではなかったと」

 うつくしい夢はもう見ない。




Gemini


 「あなたが私に振り下ろす剣は、いつだってひとつの正義を秘めている」




Pisces


 我が心臓を聖杖に高らかに掲げて戴冠されよ、女神。

 我が血を盃になみなみと注いで戴冠されよ、女神。

 我が13年の正義を地上の悪と断じて戴冠されよ、女神。

 美しい貴女の美しい御世に私が遺して逝けるのはただひとつの醜い悪なのだから。




Gemini


 「私はかつて貴女の国の正義となりたいと願いながら、しかしいつしか私だけの私の国をつくり、

 貴女の国で安らかに暮らすはずであった幾人かを奪って、挙句貴女を悪と貶めた。

 私の私だけの国は私の手で焼いてしまわなければならい」

 一際燃え立ち、崩れ、灰になっていく国の中で彼ははじめて微笑んだ。




Pisces


 「アリス、アリス、私のアリス。貴女の国は悪の国。

 アリス、アリス、私もアリス。私の国も悪の国。

 正しい国など、ひとつとして在りはしない。その在り方を正しいと定めた国を造るだけ。

 であるならば、私は貴女の国の悪だっていい」




Pisces


 そのほっそりとした顔を棘のある薔薇に寄せるものだから、アフロディーテは花を摘んだ。

 膝は屈せず、頭は垂れず、彼女に薔薇を捧ぐ。

 「私の美しい女神。お怪我をなさいますよ」

 アフロディーテは「とても良い香り」と微笑む彼女を愛しているのであり、

 「けれどなにも摘み取ってしまうことはなかったのに」と哀しげな顔もする彼女は心底好ましくない。

 アフロディーテはていねいに薔薇の棘を取り払った。彼女の手に花を落とす。

 「いずれ花は枯れるのです。貴女が哀しむことなど何ひとつとしてない」




Gemini


 雨に傘を傾ける。

 「あら。これくらい平気ですよ」

 女神は肩を雨に打たれるカノンを見上げる。

 かつて地上に降る雨を一身に受けた体は少女らしく細い。

 カノンは「いいえ」と首を振った。
 
 「私の思いはもう十分に受け取って頂きました」





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